持統天皇(五十九)行獄徒繋を許し放つ・菟田の吉隠へ

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持統天皇(五十九)行獄徒繋を許し放つ・菟田の吉隠へ

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原文

八月丙子朔己亥、幸吉野。乙巳、至自吉野。九月乙巳朔戊申、原放行獄徒繋。庚戌、小野朝臣毛野等、發向新羅。十月乙亥朔乙酉、幸菟田吉隱。丙戌、至自吉隱。十二月甲戌朔戊寅、幸吉野宮。丙戌、至自吉野。賜淨大肆泊瀬王賻物。

現代語訳

(即位9年)
8月24日。持統天皇は吉野に行きました。
8月30日。吉野から帰りました。

9月4日。行獄徒繋(サブラワシムルツミビト=投獄された罪人)を許し放ちました。
9月6日。小野朝臣毛野(オノノアソミケノ)たちは新羅に出発し向かいました。

10月11日。持統天皇菟田(ウダ)の吉隠(ヨナバリ=奈良県桜井市吉隠)に行きました。
10月12日。吉隠から帰りました。

12月5日。持統天皇は吉野宮に行きました。
12月13日。吉野から帰りました。浄大肆の泊瀬王(ハツセノオオキミ)に賻物(ハブリモノ=遺族に贈る香典のようなもの)を与えました。
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解説

吉隠
吉隠は天武天皇が壬申の乱の際に通った道が見渡せる土地。
持統天皇は天武天皇の功績、威光を利用していたとも、天武天皇の思い出に浸っていたとも言われます。
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