タカシマノミヤ

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タカシマノミヤ

古事記では高島宮(タカシマノミヤ)
日本書紀では高嶋宮(タカシマノミヤ)

物語・由来

古事記では8年、日本書紀では3年もの間、滞在したとされる吉備国の宮のこと。宮は神社の事だったり、天皇が住む家のこと。古事記では8年滞在以外の記述はないが、日本書紀には「船を揃えて兵士の食料を蓄えた」と書いてあり、ここで神武天皇一行が力をつけたことが分かります。

高島が具体的にどの場所にあるのか?というのはハッキリしていなかったが、昭和13年…つまり戦時中に政府は神武天皇の歴史的な調査をしています。
●この調査は当然「国政」に関わる事で、神武天皇が東征の際に立ち寄った場所をはっきりさせる事で神武天皇を「実在」した人物にして、国家の歴史を確定させようとした意図があるのではないかと思う。
●観光地を増やす意図もあっただろうけど。

その昭和13年の文部省による神武天皇聖蹟調査によると
高島宮は当時の岡山県児島郡甲浦村大字宮浦字高島(現岡山市南区宮浦)とされています。ただし、高島神社というのが複数あり、また高島宮だと言われる土地は他にもあります。
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古事記からの引用

アシヒトツアガリ宮で食事
その国…安芸国を出発して、
吉備国の高島宮(タカシマノミヤ)に着いて
八年居ました。

日本書紀からの引用

太歳甲寅11月〜戊午年春3月
乙卯年(キノトウノトシ)の春三月の6日に吉備国(キビノクニ)に入り、行館(カリミヤ=仮宮)を作って滞在しました。これを高嶋宮(タカシマノミヤ)といいます。三年滞在している間に、船を揃え、兵食(カテ)を備え、ひとたび兵を挙げて天下(アメノシタ)を平定しようと神武天皇は思っていました。
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