韓国人がノーベル賞にこだわる理由

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韓国人がノーベル賞にこだわる理由

投稿日時:2017-10-05 09:44:45
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韓国人がノーベル賞にこだわる理由

まとめ
●儒教では人間は生まれながらにして完璧な能力を持っているが、不道徳が邪魔して能力を発揮できない。ってことは能力の差は「道徳の差」となる。
●能力がある人は善で、ない人は悪。
●儒教国の韓国では、ノーベル賞をもらえない韓国は「悪」で、ノーベル賞をもらえる日本人は「善」となる。
●儒教では、道徳が何より大事なことなので、韓国人にとってこれは我慢できない。

ノーベル賞の季節ですねー

毎年、10月になるとノーベル賞が発表されます。で、毎年韓国では、今年こそは受賞だと盛り上がるのですが、毎年、逃してガッカリする。ガッカリするだけならいいのですが、日本人が受賞すると、もう我慢ならない。

日本人もノーベル賞を貰えば嬉しいですよね。同じ日本人として誇らしくも思うでしょう。じゃあ、韓国や中国が受賞したからといって嫌な気持ちになかっていうと、そんなことはない。仮にBBSでそういう人がいても、日本の一般的な常識ではそういうことを言う人はダメな人なんですよ。ノーベル賞は人類の発展に寄与したことを讃えるもんですから、誰が寄与しようとも、我々にとってプラスなことなはずなんですからね。
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能力の有無は、道徳の有無と直結している

そういう日本人の感覚を、韓国のノーベル賞フィーバーは大きく逸脱しているんですよ。特に日本への妬みはすごい。ノーベル賞の台座をすでに用意しているのは有名ですよね。また、毎年、報道がすごい。どうしてそこまで固執するのかというと、彼らにとって学問とは道徳だからです。
能力とは道徳
儒教では人間は誰しも完璧な能力を持って生まれていると考えていて、それが性善説です。しかし、誰しもが完璧な能力を持っているのに、社会のほとんどの人が凡人ですよね。どうして凡人なのかというと、完璧な能力を「不道徳」が邪魔しているからです。この不道徳・・・例えば、勉強せずに遊びたいとか、なまけたいとか、そういうものを排除すると「完璧な能力」を発揮できるんです。そういう考えなんです。だから、勉強が出来ないというのは彼らにとって「不道徳」であり、つまり「悪」なんです。
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日本人は悪、韓国人は善、のはず…

となると、儒教の世界観ではノーベル賞を受賞できないってのは、韓国人が「悪」だからだ!となる。日本人が受賞して韓国人が受賞しないのは日本人の方が正しくて、韓国人が邪悪だからという結論になるのですね。ま、あくまで儒教の感覚では、の話なんですが。
ところが、それは認められない。韓国では日本人が「悪」であることが社会常識なんですからね。だから、韓国ではノーベル賞に強いコンプレックスを持つわけです。この矛盾を解消したい。一刻も早くノーベル賞を取り、出来るならば数で日本を追い越したいのです。じゃないと、韓国人は「悪」であるということになる。なにより道徳を優先させる韓国では非常に強い自己否定になる。これは辛いのです。日本人のノーベル賞への思いとは感覚が違う。感覚というか世界観が違うのです。
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順位を気にするのも同じメカニズム

似たようなことなんですが、韓国はとにかく順位を気にします。幸福度とか経済の強さとか、そういう順位を見て、韓国と日本はどっちが上だ?と気にする。それも同じですね。負けているとなると、韓国は悪だとなり、改善するべきだと議論をする。ま、悪いことじゃないんですが。
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