美保神社(島根県松江市美保関町)

MENU
TOP>神社>美保神社(島根県松江市美保関町)
スポンサードリンク

美保神社(島根県松江市美保関町)

投稿日時:2018-04-03 14:02:26
TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket

概要

住所〒690-1501 島根県松江市美保関町美保関608
祭神三穂津姫命(ミホツヒメ)・事代主神(コトシロヌシ

かなり立派な神社。事代主が神話の中で有名で、三穂津姫命がほとんど活躍して居ないので、事代主が主祭神のような気がしますが、あくまで主祭神は三穂津姫命。三穂津姫命が左殿にまつられている(日本では左が優位)。
本殿は1813年(文化10年)の再建。

物語・由来

三穂津姫命
三穂津姫命日本書紀の以下の部分に登場する。国譲りの中で高皇産靈尊(タカミムスビ)の娘で大国主の妻となった。大国主が三穂津姫命をめとったのは高天原の恭順の意思を示している。

余談ですが大国主=大物主となっているので、三穂津姫命は大物主の妻でもある!ってことになっています。
事代主神
事代主は大国主の子供。しかし、なんて書くと事代主と三穂津姫命は母と子供のような気がしますが、国譲りの時点で事代主は登場しますので、三穂津姫命の子供ではない。二人は義理の母と義理の息子の関係になります。
まぁ、それは日本書紀をそのまま読めば、の話ですがね。
スポンサードリンク

アクセス

スポンサードリンク

神社や関連する土地

沖の御前・地の御前(美保神社の飛び地とされる)
出雲国風土記によると沖の御前は事代主が釣りをしていた等々島(トトシマ)とも。また地の御前を志々島とするが、地の御前は島じゃないから本当かな?と。沖の御前は漁師がが勝手にここに地蔵を設置して「地蔵崎」と読んでいた。まぁ、どちあらにしても海上交通の目印だったのだと思われます。

歴史背景

美保神社の裏には若宮社・今宮社・秘社という神社がある。若宮には「天日方奇日方命」がまつってあります。この天日方奇日方命は事代主の子供。今宮社には太田政清なる人物がまつってあります。秘社は不明。

で、太田政清なる人物は「中世末…」ということは室町時代か戦国時代の公卿で、コトシロヌシの子孫を自称していて彼のアイデアによって作られたのが「青柴垣神事」「諸手舟神事」になる。それまでは無かったわけです。
スポンサードリンク

個人的コラム

三穂津姫命という名前は「美保の姫」という意味になる。その土地の女神って意味です。では美保ってなによ?っていうと素直に考えると「御」+「穂」で穀物神なんですが、実際に行って見るとどう考えても農業の地域じゃないんですよね。美保は地形から考えると、農業よりは漁業か貿易です。
そう考えると釣りをしたり、海に消えていった事代主の方が神様としては適任。しかし、美保神社の主祭神はあくまで三穂津姫命。
Pre<<<  >>>Next 
スポンサードリンク

SNSボタン

TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket

ページ一覧

スポンサードリンク

管理人リンク

編集