オノコロ島

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オノコロ島

漢字・読み淤能碁呂島・磤馭慮島
別名オノゴロ島
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概要

オノゴロ島は日本神話で最初に出来た島。古事記では「オノゴロ島誕生」。日本書紀では「第四段本文 大八洲の誕生」「第四段一書(一) 天つ神とイザナギとイザナミ」「第四段一書(二)(三)(四)オノコロ島」で生まれています。

物語・由来

古事記・日本書紀にも登場します。生成の過程は大体同じ。海に矛を突っ込んで持ち上げたら、矛の先から潮がしたたって、その塩が溜まって出来たのが「オノコロ島」とされます。

オノコロの由来は「自ずと(おのずと)」「凝り固まる」とされますが、どこまで本当かは疑問。
実在するか?
仁徳天皇が古事記の下巻でオノコロ島について歌っています。
『淤志弖流夜(おしてるや)、那爾波能佐岐用(なにはのさきよ)、伊傳多知弖(いでたちて)、和賀久邇美禮婆(わがくにみれば)、阿波志摩(あはしま)、淤能碁呂志摩(おのごろしま)、阿遲摩佐能(あじまさの)、志麻母美由(しまもみゆ)、佐氣都志摩美由(さけつしまもみゆ)』
口語訳
浪速から出発して私の国を見てみると、アハ島(淡島)、オノゴロ島、アジマサの島も見える。サケツ島も見える。
歌の背景
仁徳天皇は吉備(現在の岡山)の美女の黒日賣(クロヒメ)が好きになってしまいましたが、皇后の磐之媛命(イワヒメノミコト)が嫉妬深い女性で、邪魔をしてくる。そこで仁徳天皇は淡路島に行くと言って、実際に淡路島に行ったあとに吉備に黒姫に会いに行きました。そのときの歌です。

仁徳天皇は実在の人物ですから、少なくとも仁徳天皇時代には「オノコロ島」とされる島があったということになります。現在ではそれが具体的にどの島なのかは不明。

歴史背景

淡路島の近くにあるとされるオノコロ島。

オノコロ島を作ったイザナギイザナミは淡路島周辺の海人族の神だったのではないか?とも言われます。
日本書紀の仁徳天皇即位前紀には、朝鮮への急な使者を出すために淡路島の海人族が船を出したとされます。応神天皇が吉備に行った時も淡路島の海人族が先導したとされます。
また淡路島は天皇の食事の材料を納める土地、「御食国(ミケツクニ)」とされていました。

淡路島は畿内・浪速と九州、朝鮮半島、もしくは九州から沖縄、台湾、そして中国大陸を結ぶ航路へ繋ぐ入口にあたります。瀬戸内海は内海で静かな海とされますが、海流がややこしい。その代わり瀬戸内海の海流を読めると、非常に楽に運行が出来ます。

オノコロ島は当時の大和朝廷が海を利用して政治を…プラス海運や貿易を…していたことから、淡路島の民を特別視した結果として神話に取り込まれた…と言われています。
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