スポンサードリンク
崇神天皇(一) 崇神天皇の出自と性格(日本書紀)
TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket原文
御間城入彦五十瓊殖天皇、稚日本根子彦大日々天皇第二子也。母曰伊香色謎命、物部氏遠祖大綜麻杵之女也。天皇年十九歲、立爲皇太子、識性聰敏、幼好雄略。既壯寛博謹愼、崇重神祇、恆有經綸天業之心焉。六十年夏四月、稚日本根子彦大日々天皇崩。
現代語訳
御間城入彦五十瓊殖天皇(ミマキイリヒコイニエノスメラミコト=崇神天皇)は稚日本根子彦大日々天皇(ワカヤマトネコヒコオオヒヒノスメラミコト=開化天皇)の第二子です。母は伊香色謎命(イカガシコメ=孝元天皇の妃で開化天皇の皇后)といいます。物部氏の遠祖の大綜麻杵(オオヘソキ)の娘です。
崇神天皇は19歳で皇太子となりました。識性(ミタマシヒ=善悪を識別する能力)が優れていました。幼くして雄略(オシキコト)を好みました。壮(オトコザカリ)となると、心を広く持ち、慎み深くなり、神祇(アマツカミクニツカミ)を崇めました。それで常に天業(アマツヒツギ=天皇の仕事=皇位)を治めようと思うようになりました。
開化天皇即位60年の4月に稚日本根子彦大日々天皇(=開化天皇)は崩御しました。
崇神天皇は19歳で皇太子となりました。識性(ミタマシヒ=善悪を識別する能力)が優れていました。幼くして雄略(オシキコト)を好みました。壮(オトコザカリ)となると、心を広く持ち、慎み深くなり、神祇(アマツカミクニツカミ)を崇めました。それで常に天業(アマツヒツギ=天皇の仕事=皇位)を治めようと思うようになりました。
開化天皇即位60年の4月に稚日本根子彦大日々天皇(=開化天皇)は崩御しました。
スポンサードリンク
SNSボタン
TWEET Facebook はてブ Google+ Pocketページ一覧
崇神天皇(日本書紀)の表紙へ
- Page1 崇神天皇(一) 崇神天皇の出自と性格(日本書紀)
- Page2 崇神天皇(二)崇神天皇の皇后と妃とその子供たち(日本書紀)
- Page3 崇神天皇(三)崇神天皇の詔(日本書紀)
- Page4 崇神天皇(四)疫病で国民の半数が死亡(日本書紀)
- Page5 崇神天皇(五)弱音と儀式と大物主(日本書紀)
- Page6 崇神天皇(六)大物主の夢のお告げ(日本書紀)
- Page7 崇神天皇(七)大田々根子命を探し出す(日本書紀)
- Page8 崇神天皇(八)天社・国社・神地・神戸を定める(日本書紀)
- Page9 崇神天皇(九)味酒三輪の殿の 朝門にも出でて行かな三輪の殿門を(日本書紀)
スポンサードリンク