味酒三輪の殿の 朝門にも出でて行かな三輪の殿門を

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崇神天皇(九)味酒三輪の殿の 朝門にも出でて行かな三輪の殿門を(日本書紀)

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原文

八年夏四月庚子朔乙卯、以高橋邑人活日、爲大神之掌酒。掌酒、此云佐介弭苔。冬十二月丙申朔乙卯、天皇、以大田々根子令祭大神。是日、活日、自舉神酒、獻天皇。仍歌之曰、

許能瀰枳破 和餓瀰枳那羅孺 椰磨等那殊 於朋望能農之能 介瀰之瀰枳 伊句臂佐 伊久臂佐

如此歌之、宴于神宮。卽宴竟之、諸大夫等歌之曰、

宇磨佐開 瀰和能等能々 阿佐妬珥毛 伊弟氐由介那 瀰和能等能渡塢

於茲、天皇歌之曰、

宇磨佐階 瀰和能等能々 阿佐妬珥毛 於辭寐羅箇禰 瀰和能等能渡烏

卽開神宮門而幸行之。所謂大田々根子、今三輪君等之始祖也。
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現代語訳

即位8年夏4月16日。高橋邑(タカハシノムラ=大和国添上郡高橋神社=奈良県天理市櫟本町?)の活日(イクヒ)を大神(オオミワ=大神神社…大物主の神社)の掌酒(サカビト=神に酒を捧げる役)としました。
掌酒は佐介弭苔(サカビト)と読みます。

冬12月20日。天皇は大田々根子(オオタタネコ)に大神(オオミワノカミ)を祀らせました。この日、活日(イクヒ)が自ら神酒(ミワ)を捧げて、天皇に献上しました。それで歌を歌いました。

この神酒(ミキ)は我が神酒ならず
倭(ヤマト)成す 大物主の 醸みし神酒
幾久 幾久
歌の訳
このお酒はわたしの酒ではありません。
倭を作った大物主が醸(カモ)した神酒です。
いつまでも、いつまでも、栄えますよう


このように歌い、神宮(カミノミヤ)で宴(トヨノアカリ)をしました。すぐ宴(トヨノアカリ)は終わって、諸大夫(マヘツキミタチ=役人)が歌を歌いました。
味酒(ウマサケ) 三輪の殿(トノ)の
朝門(アサト)にも 出でて行かな
三輪の殿門(トノト)を
歌の訳
美味しい酒のある三輪神社の社で
朝が来るまで酒を飲んで、朝が来たら帰ろう。
三輪の社の門から。

それで天皇も歌を歌いました。

味酒(ウマサケ) 三輪の殿(トノ)の
朝門(アサト)にも 押し開かね
三輪の殿門(トノト)を
歌の訳
美味しい酒のある三輪神社の社で
朝が来るまで酒を飲んで帰りなさいな。
三輪の社の門を押し開いて。


神宮(カミノミヤ)の門を開いて、天皇は帰りました。
この大田々根子(オオタタネコ)は今の三輪君(ミワノキミ)などの始祖です。

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