淡路島経由、黒日売との吉備での逢瀬

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淡路島経由、黒日売との吉備での逢瀬

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読み下し文

ここに天皇、其の黑日賣を戀いて、大后を欺きて曰く、「淡道嶋を見んと欲う。」といいて、幸行しし時に淡道の嶋に坐しまして遙かに望みて歌いて曰く、

淤志弖流夜 那爾波能佐岐用 伊傳多知弖 和賀久邇美禮婆 阿波志摩 淤能碁呂志摩 阿遲摩佐能 志麻母美由 佐氣都志摩美由

乃ち其の嶋より傳いて吉備の国に幸行しき。 爾くして黑日賣、其の国の山方の地に大坐さしめて大御飯獻りき。 ここに大御羹を煮んと爲て其の地の菘菜を採る時に、天皇、其の孃子の菘採る處に到り坐して歌いて曰く、

夜麻賀多邇 麻祁流阿袁那母 岐備比登登 等母邇斯都米婆 多怒斯久母阿流迦

天皇、上り幸す時に、黑日賣、御歌を獻りて曰く、

夜麻登幣邇 爾斯布岐阿宜弖 玖毛婆那禮 曾岐袁理登母 和禮和須禮米夜

また歌いて曰く、

夜麻登幣邇 由玖波多賀都麻 許母理豆能 志多用波閇都都 由久波多賀都麻
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現代語訳

天皇は黒日売(クロヒメ)を恋しく思い、大后を欺いて言いました。
「淡道島を見たいと思う」
それで出かけました。その時、淡路島に居て、遥か彼方(の黒日売の吉備)を見て歌いました。

おしてるや 難波(ナニワ)の崎よ 出で立ちて
我が国見れば 淡島(アワシマ) オノゴロ島
アジマサの島も見ゆ さけつ島見ゆ

歌の訳(おしてるやは難波の枕詞)難波から船で出発して我が国を見ると、淡路島・オノゴロ島・アジマサという植物の生えた島(=具体的な島名かもしれないが未詳)・割けた島(=離島という意味か?未詳)が見えるなぁ

それからそれらの島を伝って(黒日売の居る)吉備国へと行きました。
黒日売はその吉備の国の山方の土地に居て、(天皇に)大御飯(オオミケ)を献上ました。大御羹(オオミアツモノ=天皇に献上する煮物)を煮ようとしてその土地の菘菜(アオナ=青菜)を摘んでいたとき、天皇がその孃子(オトメ)が菘(アオナ)を摘んでいるところに到着して歌いました。

山方に 蒔けるあを菜も 吉備人と 共にし摘めば 楽しくもあるか
歌の訳山の畑に蒔いた青菜も吉備人(のかわいい少女=黒日売のこと)と一緒に積めば楽しいなぁ

天皇が帰るときに黒日売が歌を歌いました。
倭方に 西吹き上げて 雲離れ
退(ソ)く居りとも 我忘れめや

歌の訳ヤマトの方向に西風が吹いて雲が離れて、去って行っていきます。でも、わたしは(あなたのことを)忘れません

また歌いました。
倭方に 行くは誰が夫 隠り水の 下よ這へつつ 行くは誰が夫
歌の訳ヤマトの方へと行くのは誰の夫でしょうか。(コモリズは下の枕詞)わたしと密かに心を通わして帰って行くのは誰の夫でしょうか。
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解説

妾との逢瀬
正妻の目を盗んで黒日売と逢瀬。そういう話をわざわざ古事記に乗せるところを見ると、史実ではなくて神話や伝承と考えたほうがいいような。
淡路島とオノゴロ島
淡島(アワシマ)はイザナギイザナミが生んだ島。淡路島とは別だ!という人もいますが、同じと考えることが多いです。オノゴロ島はイザナギイザナミアメノヌボコで海をかき回して作った最初の島。この歌から考えると、「オノゴロ島は少なくとも仁徳天皇の時代には実在した」のかもしれません。それがどの島かは分かっていませんが。

おそらくこれらの歌は吉備の海人部に伝わっていた歌を取り込んだものと思われます。だから、実際に「島があった」という証拠とは言えない。でも、何にもないのに書くとも思えないですよね。古代史の謎です。
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