田狭臣の説得と弟君の謀叛と樟媛の忠

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雄略天皇(二十五)田狭臣の説得と弟君の謀叛と樟媛の忠

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原文

任那国司田狹臣、乃喜弟君不伐而還、密使人於百濟、戒弟君曰「汝之領項、有何窂錮而伐人乎。傳聞、天皇幸吾婦、遂有兒息。兒息已見上文。今恐、禍及於身、可蹻足待。吾兒汝者、跨據百濟、勿使通於日本。吾者據有任那、亦勿通於日本。」弟君之婦樟媛、国家情深、君臣義切、忠踰白日、節冠靑松、惡斯謀叛、盜殺其夫、隱埋室內、乃與海部直赤尾將百濟所獻手末才伎、在於大嶋。

現代語訳

任那国司(ミマナノクニノミコトモチ)の田狭臣(タサノオミ)は弟君(オトキミ)が新羅を征伐しないで帰ることを喜んで、密かに人を百済に送って、弟君に戒めて言いました。
「お前の首が堅牢だから、他人を征伐するというのか? 人伝てに聞いたところによると、天皇はわたしの婦(メ=妻)を幸(メ=妃として)して、ついに児息(コドモ)をもったと言う。
児息に関してはすでに上の文にある。

今、恐ろしいのは禍(ワザワイ)がその身に及ぶであろうこと。足をつま先立ちして、警戒して待つべきだ。わたしの児であるお前は百済にとどまって、日本に通うな。わたしは任那に寄って、日本に通わない」
弟君の婦(メ)の樟媛(クスヒメ)は国家への愛情が深く、君臣の義がしっかりと切り離されハッキリしていて、反逆するなどもっての他と考えていました。忠心は太陽よりも輝き、節(マタキコト=節度という意味)は青松(トコマツ)のように有りました。この謀叛を憎んで、密かにその夫(セ=弟君のこと)を殺して、室の中に隠して埋めて、すぐに海部直赤尾(アマノアタイアカオ)と共に百済の献上した手末(タナスエ)の才伎(テヒト)を率いて大島に滞在しました。
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解説

弟君から見た場合
弟君は、新羅に逃げた田狭の子どもです。田狭は任那に左遷されてしまった間に、妻である稚媛を天皇に奪われ、子どもまでもうけられてしまいました。これは腹を立ててもおかしくない。弟君から見ると、父親が左遷させられ、母親を天皇に奪われたということです(弟君が稚媛の子かどうかは不明だけど)。その上、父親の征伐を天皇に命じられたわけです。これは凄い。

それで田狭の説得を受けて、弟君は日本に反逆した。反逆といっても、別に兵を挙げたというわけではなく、「無視を決め込んだ」という程度です。日本書紀の文から見ればそうなります。

しかし、これはある意味では意義があった。日本は朝鮮半島の技術者を求めていた。日本、というよりは雄略天皇が中国の文化を吸収することに熱心だった。個人的には雄略天皇は日本での政治基盤が脆弱だったのではないか?と思っています。だから雄略天皇は中国や朝鮮の技術を取り入れることで、求心力を強めようと考えていたのではないかと思うのです。

よって、朝鮮に派遣した弟君が「無視」しただけでも、結構なダメージがあった。政権基盤が揺らぎかねない事態だった。結局、謀叛はしぼんで、技術者を得ることが出来たからオールオッケーなんですけどね。だから「技術者を得た」という記事と「謀叛」が並立して描かれているのではないかと思います。
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