河内直への非難・お前の先祖も…

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欽明天皇(二十二)河内直への非難・お前の先祖も…

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原文

別謂河內直(百濟本記云、河內直・移那斯・麻都。而語訛未詳其正也。)「自昔迄今、唯聞汝惡。汝先祖等(百濟本記云、汝先那干陀甲背・加獵直岐甲背、亦云那奇陀甲背・鷹奇岐彌。語訛未詳)。倶懷姧偽誘說、爲哥可君(百濟本記云、爲哥岐彌、名有非岐。)專信其言、不憂国難。乖背吾心、縱肆暴虐。由是見逐。職汝之由。汝等來住任那、恆行不善。任那日損、職汝之由。汝是雖微、譬猶小火燒焚山野連延村邑。由汝行惡、當敗任那。遂使海西諸国官家不得長奉天皇之闕。今遣奏天皇、乞移汝等還其本處。汝亦往聞。」
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現代語訳

それとは別に河内直(カフチノアタイ)に言いました。
百済本記によると、河内直・移那斯(エナシ)・麻都(マツ)といいます。しかし言葉は訛っていて正しい音ははっきりしません。

「昔から今に至るまで、ただお前からは悪いことしか聞いていない。お前の先祖たちも奸計・嘘で誘い説いて騙した。
百済本記によると、『お前の先祖の那干陀甲背(ナカンダコウハイ)・加猟直岐甲背(カラフジキコウハイ)といいます。または那奇陀甲背(ナガダコウハイ)・鷹奇岐弥(ヨウガキミ)といいます。言葉は訛っていて未だはっきりしません。

爲哥可君(イカカノキミ)はその言葉を信じて国の難を憂いていない。
百済本記によると、為哥岐弥(イカキミ)、名は有非岐(ウヒキ)というといいます。

わたしの心に乖離し、背き、心のままに暴虐しました。これによって追放する。これはすべてお前に原因がある。お前たちはやって来て、任那に留まり、常に不善をなしてきた。任那が日々損なわれたのは、すべてお前に原因がある。お前は、多少といっても、例えば…小さな火で山のを焼いて、村里に火が広がるようなものだ。お前の悪行によって、任那は敗れ滅びつつある。ついに海西(ワタノニシ=大和から西の諸国)の諸国の官家(ミヤケ)が長く天皇の闕(ミカド=物見櫓のこと)に仕えることが出来なくした。今、天皇に申し上げる使者を派遣して、お前たちを異動させ、元の所へと(本国である日本に)帰そうと乞い願うべきだろう。行って天皇から承れ!」
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解説

百済が河内直に言った言葉です。百済本記によると、河内直だけでなく複数の人物に言ったことになっています。おそらくそちらの方が正しいでしょう。実際に複数の人間の前で言ったかどうかはともかく、任那の没落には河内直や移那斯(エナシ)・麻都(マツ)が関わっているのは、日本書紀・百済本記の引用から考えても妥当でしょう。
欽明天皇(十四)日本府と新羅の密通・河内直を叱責
安羅の日本府の河内直(カフチノアタイ)が計画を新羅と話し合ったことを深く責め罵りました。
百済本記によると加不至費直(カフチノアタイ)・阿賢移那斯(アケエナシ)・佐魯麻都(サロマツ)たちとあります。詳細は分かりません。

欽明天皇(十九)百済の合議と河内直たちを本国に帰すよう表を提出する
河内直(カフチノアタイ)・移那斯(エナシ)・麻都(マト)などは尚、安羅に居て、任那はおそらくは再建が難しいでしょう。
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