奈率阿乇得文・許勢奈率奇麻・物部奈率歌非の上表

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欽明天皇(二十五)奈率阿乇得文・許勢奈率奇麻・物部奈率歌非の上表

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現代語訳

(即位5年)3月。百済は奈率阿乇得文(ナソチアトクトクモン)・許勢奈率奇麻(コセノナソチガマ)・物部奈率歌非(モノノベノナソチガヒ)たちを派遣して、表(フミ)を献上して言いました。
「奈率弥麻沙(ナソチミマサ)・奈率己連(ナソチコレン)たちが蕃(クニ)に到着して、詔書(ミコトノリノミフミ)を奉って言いました。
『お前たちそこにある日本府とともに、同じく謀議し、善策を計画して、速やかに任那を再建するべし。お前たちは、戒めとしろ。他人に欺かれないよう』
また、津守連(ツモリノムラジ)たち臣下が蕃(クニ)に到着して、勅書(ミコトノリノミフミ)を奉り、任那の再建を問いました。つつしみ、来勅(ミコトノリ)を受け賜り、時を経ず、建国のために共に謀議したいと思っている。すぐに使者を派遣して日本府と任那を招集しました。
百済本記によると、烏胡跛臣(ウゴハノオミ)を招集したといいます。おそらくこれは的臣(イクハノオミ)のことです。

日本府と任那のものはともに答えて言いました。
『新しい年がすでに来てしまいました。願わくば、過ぎてから行きたいと思います』
久しく時間があってからも参上しませんでした。それでまた使者を派遣して招集しました。またともに答えました。
『祭りの時期がすでに来ています。願わくば過ぎてから行こうと思います』
また久しく時間が経っても来ませんでした。また使者を派遣して招集しました。しかし、位の低い卑しい人を派遣して来て、それで前回同様に話し合って計画することが出来ませんでした。任那が招集しても来ないのは、その心には無いことなのです。阿賢移那斯(アケエナシ)・佐魯麻都(サツマロ)…
二人の名前です。すでにこれまでの文に見られます。

の奸計・嘘がなす所です。任那は安羅(アラ=国名)を兄としています。ただその心にのみ従います。安羅人は日本府をもって天(カゾ=父)とします。その心にのみ従います。
百済本記によると、安羅をもって父(カゾ)とします。日本府を本(モト)とするとあります。

今は、的臣(イクハノオミ)、吉備臣(キビノオミ)・河内直(カワチノアタイ)など、皆、移那斯(エナシ)・麻都(マツ)が指示することに従っただけです。移那斯・麻都は小さな家の身分の低い卑しい人といえども、日本府の政治をほしいままにしています。
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解説

長いので分割
『新しい年がすでに来てしまいました。願わくば、過ぎてから行きたいと思います』のくだりは過去の内容をなぞっています。

このあたりは、百済が主張している記述と大和が掴んでいる記述を並行させて書いたのではないかと個人的には思います。ただ「事実」だけを述べるのは難しいので、並立させたと。
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原文

三月、百濟、遺奈率阿乇得文・許勢奈率奇麻・物部奈率歌非等、上表曰「奈率彌麻沙・奈率己連等至臣蕃奉詔書曰『爾等、宜共在彼日本府同謀善計早建任那。爾其戒之、勿被他誑。』又、津守連等至臣蕃奉勅書問建任那。恭承來勅、不敢停時、爲欲共謀。乃遣使召日本府(百濟本記云、遣召烏胡跛臣。蓋是的臣也。)與任那、倶對言『新年既至、願過而往。』久而不就、復遣使召、倶對言『祭時既至、願過而往。』久而不就、復遣使召。而由遣微者、不得同計。夫任那之不赴召者、非其意焉。是阿賢移那斯・佐魯麻都(二人名也、已見上文。)姧佞之所作也。夫任那者以安羅爲兄、唯從其意。安羅人者以日本府爲天、唯從其意。百濟本記云、以安羅爲父、以日本府爲本也。今的臣・吉備臣・河內直等咸從移那斯・麻都指撝而已。移那斯・麻都、雖是小家微者、專擅日本府之政。
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