阿倍目臣と物部贄子連と大伴糠手子連に政治について答える日羅

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敏達天皇(十九)阿倍目臣と物部贄子連と大伴糠手子連に政治について答える日羅

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現代語訳

また、阿倍目臣(アヘノメノオミ)・物部贄子連(モノノベノニヘコノムラジ)・大伴糠手子連(オオトモノアラテコノムラジ)を派遣して、国の政(マツリゴト=政治)について日羅(ニチラ)に問いました。日羅は答えて言いました。
天皇が天下を治めている政(マツリゴト)は、必ず黎民(オオミタカラ=国民)を護り、養うことです。急いで兵を起こしたら、返って、国民を失い滅ぼすことになるでしょう。だから今、議者(ハカリコトヒト)を朝列(ミカド)に仕え奉る臣・連・二つの造(ミヤツコ)…
二つの造は国造(クニノミヤツコ)と伴造(トモノミヤツコ)です。

から下の百姓(オオミタカラ)に至るまで、すべて皆、賑わい富み、乏所(タラヌトコロ)は無いようにするべきです。そうして3年経って、食(クライモノ=食料)を充足させ、兵を充足させ、悦(ヨロコビ)で民を使いなさい。水火(ミズヒ)の不足を気にすることなく、同じように国難を憂う。そうして後に多くの船舶を造って、津(ツ=港)ごとに列にして置いて、客人に見せて、恐れ畏るようにしましょう。そうして、能力のある使者を百済に派遣して、その国の王(ニリム)を呼び寄せる。もし、それで来なかったら、その太佐平(ダイサヘイ=百済の最高執政官)・王子を呼び寄せて来させる。自然と心に慎み従うようになります。その後に罪を問うべきです」
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解説

日羅の言葉とは
日羅は百済にいた人物。これを日本は百済から呼び寄せて、日本に住まわせました。そこで「政治」について臣・連を派遣して問わせました。そこで日羅が言った「政治」とは何か?というのがこのページなんですが…
日羅は儒教の伝導者では?
日本では古代では儒教の思想が無かった。多少は影響を受けていたのですが、モザイク状になっていた。日本は「和」の思想で、相手と自分は同等と考える文化だった。だから儒教の思想がわからず、ずーっと揉めて来た。
日羅に「政治」を問うた。
日羅は、いきなり戦争するんじゃなくて、国力を整えてから、そうして百済に「こっち来い」と呼びつける。そうして上下関係をハッキリさせることで、相手を従わせる。
儒教はまさにこういう思想です。

この記述があるということは、こういう思想がこの時期に伝わったという証拠ではないかと。
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原文

復遣阿倍目臣・物部贄子連・大伴糠手子連而問国政於日羅、日羅對言「天皇所以治天下政、要須護養黎民、何遽興兵翻將失滅。故、今合議者、仕奉朝列臣連二造二造者国造伴造也下及百姓、悉皆饒富令無所乏。如此三年、足食足兵、以悅使民、不憚水火同恤国難。然後、多造船舶、毎津列置、使觀客人令生恐懼。爾乃、以能使、使於百濟召其国王。若不來者、召其太佐平・王子等來。卽自然心生欽伏。後、應問罪。」
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