天武天皇(百二)三つ足の雀・明神御大八洲倭根子天皇の勅命

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天武天皇(百二)三つ足の雀・明神御大八洲倭根子天皇の勅命

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原文

十二年春正月己丑朔庚寅、百寮拜朝庭。筑紫大宰丹比眞人嶋等、貢三足雀。乙未、親王以下及群卿、喚于大極殿前而宴之、仍以三足雀示于群臣。

丙午、詔曰「明神御大八洲倭根子天皇勅命者、諸国司国造郡司及百姓等、諸可聽矣。朕、初登鴻祚以來、天瑞非一二多至之。傳聞、其天瑞者、行政之理協于天道、則應之。是今當于朕世、毎年重至、一則以懼一則以嘉。是以、親王諸王及群卿百寮幷天下黎民、共相歡也。乃小建以上給祿各有差、因以大辟罪以下皆赦之、亦百姓課役並免焉。」是日、奏小墾田儛及高麗・百濟・新羅三国樂於庭中。
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現代語訳

即位12年春1月2日。百寮(ツカサツカサ=役人)は朝廷で拝礼しました。筑紫太宰の丹比真人嶋(タジヒノマヒトシマ)たちは、三つの足がある雀を献上しました。
1月7日。親王から下の群卿(マヘツキミタチ=臣下たち)まで、大極殿(オオアンドノ)の前に呼び寄せて、宴(トヨノアカリ)をしました。そこで三つの足のある雀を、群臣(マヘツキミタチ)に示し見せました。
1月18日。詔(ミコトノリ)して言いました。
「明神御大八洲倭根子天皇(アキツミカミトオオヤシマシラスヤマトネコノスメラミコト天皇を讃える言葉で、特定の天皇のことではないが、ここでは天武天皇のこと)の勅命(オオミコトノリ)を、諸々の国司(クニノミコトモチ)と国造(クニノミヤツコ)と郡司(コオリノミヤツコ)と百姓たちは、皆、聞きなさい。朕(ワレ)は、初めて鴻祚(アマツヒツギ=天皇位)について以来、天瑞(アマツミツ=天からの吉兆)は一つや二つではなく、沢山ありました。伝え聞いたところによると、この天瑞(アマツミツ)は政治を行う理(コトワリ)、天道(アメノミチ=天の道理)に協調したから、答えたのだと。今、朕の世に当たり、年ごとに重ねて現在に至ります。ある時は恐れ、ある時はめでたく思う。親王と諸王と群卿と百寮(ツカサツカサ=役人)、天下の黎民(オオミタカラ=百姓・国民)は共に喜ぶ。小建(ショウコンノクライ)から上に、禄(モノ)を給付して、それぞれに品がある。大辟罪(シヌルツミ=死刑)より下、皆、許す。百姓の課役(エツキ=労役)を一緒に免除する。
この日に小墾田儛(オハリダノマイ)と高麗・百済・新羅の三つの国の楽(ウタマイ=歌と舞)を朝廷の中で奏じました。
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解説

明神御大八洲倭根子天皇
養老公式令(757年に施行された律令)には「明神御大八洲天皇(アキツミカミトオヤシマグニニシラススメラミコト)」と記述があり、これは立后(皇后を立てる)・立太子(皇太子を立てる)・元日朝賀(元日の儀礼)などの直別な詔に使う言葉です。

私は「根子」ってのは、おそらく「日子(彦)」と関係し、対となる言葉でしょう。根は「根の国」の「根」で、「尾根」「峰」というように、大地とかそういう意味だと思います。だから「根子」で「大地の子孫」「大地の使い」と言った意味です。大物主(オオモノヌシ)の子孫である大田田根子(オオタタネコ)も同様です。

となると「日子と根子」は「天津神国津神」「天神・地祇」の関係に近く、「根子」がこうして天皇を褒め称える言葉として正式に利用されていたということは、天皇には「天と地」の両方の性質があったのでしょう。

天皇はアマテラスの子孫で、天つ神の子孫ですから、天皇は「天」で、出雲の神々などが「地(もしくは国)」という違いがあるという印象がありますが、天武天皇のこの時点では、もしかすると、「地(国)」側の存在だった可能性もあると思います。
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