天武天皇(百四)鏡姫王の死・道蔵の雨乞い・大伴連男吹負の死

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天武天皇(百四)鏡姫王の死・道蔵の雨乞い・大伴連男吹負の死

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原文

秋七月丙戌朔己丑、天皇幸鏡姫王之家、訊病。庚寅、鏡姫王薨。是夏、始請僧尼安居于宮中、因簡淨行者卅人出家。庚子、雩之。癸卯、天皇巡行京師。乙巳、祭廣瀬龍田神。是月始至八月、旱之。百濟僧道藏、雩之、得雨。八月丙辰朔庚申、大赦天下。大伴連男吹負卒、以壬申年之功贈大錦中位。

現代語訳

(即位12年)秋7月4日。天皇は鏡姫王(カガミノオオキミ)の家に行き、病状を問いました。
7月5日。鏡姫王が亡くなりました。この夏に初めて、僧尼に請願して、宮中に安居(アンゴ=毎年4月15日から7月15日まで講説をすること)させました。それで浄行者(オコナイヒト)30人を選んで出家させました。
7月15日。雨乞いをしました。
7月18日。天皇は京師(ミヤコ=ここでは現在の奈良県高市郡明日香村)に巡行しました。
7月20日。広瀬・竜田の神を祭りました。
この月(=7月)から始まって8月まで干ばつがありました。百済の僧の道蔵(ドウゾウ)は雨乞いして雨を得ました。
8月5日。天下に大赦(オオキニツミユルス=恩赦)をしました。大伴連男吹負が亡くなりました。壬申の年の功績を持って、大錦中位を与えました。
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解説

鏡姫王
謎の女性。日本書紀には記述がありません。いろいろと説はありますが、日本書紀だけを見れば、なぜ突然登場したのか、分からないです。

万葉集の「鏡王女」と同一人物とも言われています。藤原不比等を生んだという記述もあります。

鏡王女は天智天皇の妃でしたが、藤原鎌足の正妻になり、鎌足が病気になると興福寺という寺を建てて病気が治るように願ったという経緯からその興福寺の「興福寺縁起」にその経緯が記してあります。

鏡王女はおそらく皇女なんでしょう。だからこそ寺も造営できるし、ここで日本書紀に記述されたのだと思います。
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