持統天皇(五)殯宮の慟哭・京師の80歳上と篤癃と貧しいものに施し

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持統天皇(五)殯宮の慟哭・京師の80歳上と篤癃と貧しいものに施し

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現代語訳

即位元年春1月1日。皇太子は公卿(マヘツキミ=臣下)・百寮(ツカサツカサ=役人)たちを率いて、殯宮に参りでて慟哭(ミネタテマツル=泣いて悲しむ儀式)をしました。納言(モノマウシツカサ)の布勢朝臣御主人(フセノアソミミヌシ)が誄(シノビコトタテマツル=故人に言葉をかける儀式)をしました。礼に合うことです。誄を終えて、諸々の人たちが発哀(ミネタテマツル)しました。次に梵衆(ホウシドモ=僧たち)が発哀しました。奉膳(ウチノカシワデノカミ=宮内省内膳司の長官)の紀朝臣真人(キノアソミマヒト)たちが、奠(ミケ=お供えの食事)を奉りました。奠が終わり、膳部(カシワデ)と采女(ウネメ)が発哀しました。楽官(ウタマイノツカサ)が楽(ウタマイ)を奏じました。

1月5日。皇太子は公卿と百寮の人たちを率いて、殯宮に参りでて、慟哭しました。梵衆(ホウシドモ)は随伴して発哀しました。
1月15日。京師(ミヤコ)の年齢が80以上の人、篤癃(アツエヒト=病気や障害を持った人)や、貧しく自分で生きていけないものに絁(フトギヌ)・綿を与え、それぞれ品がありました。
1月19日。直広肆の田中朝臣法麻呂(タナカアソミノリマロ)と追大弐の守君苅田(モリノキミカリタ)たちを新羅に使者として送り、天皇の喪を告げさせました。
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解説


殯は死体を放置して、白骨するまで待つ儀式。
なんて恐ろしい。
白骨するってことは、もう生き返らないということ。生き返らないということがハッキリするまで待ちます。そして生き返らないなら泣いて悲しむ。だから、功績のある人物の殯は長くなります。生き返って欲しいという願いがあるから、ギリギリまで「死」を受け入れない。
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原文

元年春正月丙寅朔、皇太子率公卿百寮人等、適殯宮而慟哭焉。納言布勢朝臣御主人、誄之、禮也。誄畢衆庶發哀、次梵衆發哀。於是、奉膳紀朝臣眞人等奉奠。奠畢、膳部采女等發哀。樂官奏樂。庚午、皇太子率公卿百寮人等、適殯宮而慟哭焉。梵衆隨而發哀。庚辰、賜京師年自八十以上及篤癃・貧不能自存者、絁綿各有差。甲申、使直廣肆田中朝臣法麻呂與追大貳守君苅田等、使於新羅、赴天皇喪。
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