高句麗の建国神話

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高句麗の建国神話

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物語・由来

『広開土王の碑文』
惟昔鄒牟王之創基也、出自北夫余天帝之子。母河伯女郎、剖卵降世。

その昔、鄒牟王が高句麗を作りました。
鄒牟王は北扶余の天帝の子です。
鄒牟王の母は河伯(川の神)の娘です。
鄒牟王は卵を割って、この世に降臨しました。
補足
●広開土王碑は414年の築造とされる。
●よって高句麗の建国神話の中ではもっとも古い。
●他の史料は三国史記・三国遺事・中国の史書になる。どれも成立は後世。
●鄒牟は朱蒙(チュモン)のこととされる。
●5世紀には扶余から南に移動し高句麗を作るという物語が出来ていたと思われます。
●卵から出生する物語は、中国の始祖神話の殷王朝(商王朝)の契(セツ)の「ツバメの卵を食べたら妊娠」というストーリーと似ている、っちゃ似ている。日本には卵生神話が一切無い。
●卵生神話は南方系であり、天孫降臨神話は北方系とされる。ところが、バリバリ南方系の神話であるはずの日本に卵生神話が無くて天孫降臨神話があり、北方系であるはずの朝鮮に卵生神話があって天孫降臨神話が無いのは、矛盾している。

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