先代天皇の功績を引き継ぐ

MENU
TOP>垂仁天皇(日本書紀)>垂仁天皇(十四)先代の功績
スポンサードリンク

垂仁天皇(十四)先代の功績

TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket

原文

廿五年春二月丁巳朔甲子、詔阿倍臣遠祖武渟川別・和珥臣遠祖彦国葺・中臣連遠祖大鹿嶋・物部連遠祖十千根・大伴連遠祖武日、五大夫曰「我先皇御間城入彦五十瓊殖天皇、惟叡作聖、欽明聰達、深執謙損、志懷沖退、綢繆機衡、禮祭神祇、剋己勤躬、日愼一日。是以、人民富足、天下太平也。今當朕世、祭祀神祇、豈得有怠乎。」

現代語訳

即位25年。春2月8日。
阿部臣(アベノオミ)の遠祖の武渟川別(タケヌナカワワケ)・和珥臣(ワニノオミ)の遠祖の彦国葺(ヒコクニブク)・中臣連(ナカトミノムラジ)の遠祖の大鹿嶋(オオカシマ)・物部連(モノノベノムラジ)の遠祖の十千根(トオチネ)・大伴連(オオトモノムラジ)の遠祖の武日(タケヒ)と、5人の大夫(マヘツキミタチ)に天皇はいいました。
「わたしの前の天皇の城入彦五十瓊殖天皇(イマキイリヒコイニエノスメラミコト崇神天皇)はとても清らかで聖人だった。欽(ツツシ)み明らかで、聡(サト)く達(トオ)っていた。深く謙損(ユヅリスツルコト=謙遜?)し、志壊(ココロザシ)沖(オナ)しく退きました。機衡(ヨロヅノマツリコト)を綢繆(スベオサ)めました。神祇(アマツカミクニツカミ)を令祭(ウヤマイ)しました。己を責め、身を勤めて、日々を慎みました。それで人民(オオミタカラ)は富み、満足し、天下太平となりました。今、わたしの代にになって、神祇を祭祀(イワイマツル)ことを、怠ることなどあろうか」
スポンサードリンク

解説

天皇の発言
カッコでくくられた部分のほとんどが、先代崇神天皇の功績を讃えるもので、その文章のほとんどが中国の史書を参考にしたのではないか?と思われる文章となっています。文章というか漢文ですね。日本語にすると変なので、ほとんど読み下し文と同じ内容になっています。ごめんなさい。
Pre<<<  >>>Next 
スポンサードリンク

SNSボタン

TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket

ページ一覧

スポンサードリンク

管理人リンク

編集