湯河板舉は鳥取造に

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垂仁天皇(十三)湯河板舉は鳥取造に

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原文

十一月甲午朔乙未、湯河板舉、獻鵠也。譽津別命、弄是鵠、遂得言語。由是、以敦賞湯河板舉、則賜姓而曰鳥取造、因亦定鳥取部・鳥養部・譽津部。

現代語訳

(即位23年)11月2日。
譽津別命は鵠(クグイ=白鳥)を垂仁天皇に献上しました。譽津別命(ホムツワケノミコト)はこの鵠で遊んで、ついに話せるようになりました。

それで湯河板舉に篤く、褒賞することにしました。
姓を与えて鳥取造としました。また鳥取部(トトリベ)、鳥養部(トリカイベ)、譽津部(ホムツベ)を定めました。
古事記の対応箇所
ヤマノベノオオタカの白鳥追跡
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解説

日本書紀では話せるようになったが…
古事記では白鳥を捉えただけでは言葉を話せるようにはならず。「言葉が話せないのは出雲の祟り」となり、物語は続きます。ただ日本書紀では「白鳥を捕まえた土地」として出雲が登場しているので、略しただけ、なのかもしれません。

ちなみに譽津部(ホムツベ)は「譽津別命(ホムツワケノミコト)を世話する部署」のことです。
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