皇后が酒を鯽魚に注ぐと鯽魚はすぐに酔って浮かびました

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仲哀天皇(六)皇后が酒を鯽魚に注ぐと鯽魚はすぐに酔って浮かびました

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原文

夏六月辛巳朔庚寅、天皇泊于豊浦津。且皇后、從角鹿發而行之、到渟田門、食於船上。時、海鯽魚多聚船傍、皇后以酒灑鯽魚、鯽魚卽醉而浮之。時、海人多獲其魚而歡曰「聖王所賞之魚焉。」故其處之魚、至于六月常傾浮如醉、其是之緣也。秋七月辛亥朔乙卯、皇后泊豊浦津。是日、皇后得如意珠於海中。九月、興宮室于穴門而居之、是謂穴門豊浦宮。

現代語訳

(即位2年)夏6月10日。天皇は豊浦津(トユラノツ=山口県豊浦郡)に泊まりました。また、皇后(=神功皇后)は角鹿(ツヌガ=福井県敦賀)から出発して、渟田門(ヌタノミナト=未詳)に到着して船上(ミフネ)で食事をしました。その時、海鯽魚(タイ=鯛)が多く、船の傍に集まりました。皇后は酒を鯽魚(タイ)に注ぎました。鯽魚はすぐに酔って浮かびました。そのとき海人(アマ)は沢山のその魚を得て喜んで言いました。
「聖王(ヒジリノキミ)から頂いた魚です」
それでその土地の魚は6月になるといつも、口をパクパクと動かして酔っ払うようになる。それはこれが由縁です。

秋7月5日。皇后は豊浦津に泊まりました。この日に皇后は如意玉(ニョイノタマ=なんでも思い通りになる玉=仏教の言葉)を海中から得ました。
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解説

神功皇后の性質
このページでは「神功皇后」を主体として描かれています。これまで天皇が主体だったのに、です。これから仲哀天皇が死に、朝鮮征伐をし、応神天皇へと引き継がれるまでの間、主体は神功皇后となります。

神功皇后は天日槍の子孫です。天日槍は朝鮮の新羅の王子で、妻を追いかけて日本にやってきて、日本に住み着いた神です。この子孫がその後、朝鮮征伐へと向かうわけです。また、朝鮮と日本の間には海があります。この海は難所ではありますが、行き来できないわけではありません。魏志倭人伝には「朝鮮半島の南部は倭国」と書かれていますし、「朝鮮半島の鉄を倭人が持ち帰っていた」ともあります。また日本・朝鮮共に物品の行き来があったのは遺物から考えても間違いありませんから、朝鮮半島との行き来はできていたハズです。

出来ていたとは言え、難所は難所です。行き来ができるのは海流を理解した「海人」が手引きしたからです。その海の道案内をした人が住吉(=津守氏)であり、宗像氏です。海の性質は重要だったのでしょう。その性質である「海にまつわる物語」がこのページになるのだと思います。
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