調吉士伊企儺は屈せず・大葉子の歌

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欽明天皇(八十四)調吉士伊企儺は屈せず・大葉子の歌

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原文

同時所虜、調吉士伊企儺、爲人勇烈、終不降服。新羅鬪將拔刀欲斬、逼而脱褌、追令以尻臀向日本大號叫(叫咷也)曰「日本將、嚙我臗脽。」卽號叫曰「新羅王、㗖我臗脽。」雖被苦逼、尚如前叫。由是見殺。其子舅子、亦抱其父而死。伊企儺辭旨難奪、皆如此。由此、特爲諸將帥所痛惜。昔妻大葉子、亦並見禽。愴然而歌曰、
柯羅倶爾能 基能陪儞陀致底 於譜磨故幡 比例甫囉須母 耶魔等陛武岐底
或有和曰、
柯羅倶爾能 基能陪儞陀々志 於譜磨故幡 比禮甫羅須彌喩 那儞婆陛武岐底

現代語訳

同じときに捕虜となった調吉士伊企儺(ツキノキシイキナ)は人となりが勇猛苛烈で、ついには降伏しませんでした。新羅の闘将は刀を抜いて斬ろうとしました。褌(ハカマ)を脱がせて、追いかけて、尻を日本に向けさせて、大きな声で叫んで・・・
叫は咷(サケブ)です。

言いました。
「日本の将!
わたしの尻を噛め!」
調吉士伊企儺はすぐに叫んで言いました。
「新羅の王!
わたしの尻を喰へ!」
苦しませ、責めても、なお同様に叫びました。それで殺されました。その調吉士伊企儺の子の舅子(オジコ=名前)は、父を抱きかかえて死にました。伊企儺(イキナ)から言葉を奪うのは難しいと皆思いました。もろもろの将師(イクサノキミ=将軍)はその痛みを惜しみました。その妻の大葉子(オオバコ)もまた一緒に捕らえられました。その痛みを歌いました。
韓国(カラクニ)の城(キ)の上(ヘ)に立ちて 
大葉子は、領巾(ヒレ)振らすも 日本(ヤマト)へ向きて

歌の訳
韓国の城の上に立って、大葉子は領巾(ヒレ=布)を振っていますよ。日本に向いて。

ある人が答えて言いました。
韓国の城の上にに立たし 大葉子は 領巾振らす見ゆ 難波へ向きて
歌の訳
韓国の城の上に立って、大葉子が領巾を降っているのが見えますよ。難波に向かって。
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解説

調吉士伊企儺の勇猛さ
捕らえられても尚、新羅の闘将に逆らい、ついには殺されてしまう調吉士伊企儺。その妻である大葉子は、その魂を送るためか、布を振るわけです。まぁ、この最後の二首の歌が「この時に歌った歌か?」というと疑わしい。この時代にあった歌をこの物語に当てはめたと考える方が自然。それにこの歌は戦争のエピソードの後に読むから「戦争」「死」と関連付けてしまいますが、歌を単独で見ると、戦争と関係しているとは言えない。

仮に、歌とエピソードが後付けでくっついた、となると、大葉子という名前は、歌から発生した後付けの名前となります。

そもそもこの調吉士伊企儺のお話は、どう考えても前のページの「欽明天皇(八十三)河辺臣の婦人の甘美媛」と対になっているんですよ。河辺臣は愛人を差し出し、愛人は大衆の面前で犯された。しかしそのおかげで殺されなかった河辺臣。そういう情けない河辺臣と、調吉士伊企儺の絶対に屈せず、殺されてしまう結末は、どう考えても対比です。

ここでのお話のどこまでが史実かというと分かりませんが、かなり脚色があると考えた方が自然でしょう。
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