大伴連狹手彥の勝利・珍宝貨賂と七織帳と鉄屋

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欽明天皇(八十五)大伴連狹手彦の勝利・珍宝貨賂と七織帳と鉄屋

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原文

八月、天皇遣大將軍大伴連狹手彦、領兵數萬、伐于高麗。狹手彦乃用百濟計、打破高麗。其王踰墻而逃。狹手彦遂乘勝以入宮、盡得珍寶貨賂・七織帳・鐵屋、還來。舊本云「鐵屋在高麗西高樓上、織帳張於高麗王內寢。」以七織帳、奉獻於天皇。以甲二領・金飾刀二口・銅鏤鍾三口・五色幡二竿・美女媛媛、名也幷其從女吾田子、送於蘇我稻目宿禰大臣。於是、大臣遂納二女、以爲妻居輕曲殿。鐵屋在長安寺、是寺不知在何国。一本云「十一年、大伴狹手彦連共百濟国、驅却高麗王陽香於比津留都。」

現代語訳

(即位23年)8月に天皇は大将軍(オオキイクサノキミ)の大伴連狹手彦(オオトモノムラジサデヒコ)を派遣して、兵数1万を率いて高麗を征伐させました。狹手彦は百済の計画を用いて、高麗を打ち破りました。その王は垣根を越えて逃げました。狹手彦はついに勝ち名乗り、宮殿に入って、すべての珍宝貨賂(タカラモノ=珍宝は宝物、貨賂は賄賂のこと)・七織帳(ナナエノオリモノノトバリ=七色の糸で編んだ布)・鉄屋(クロガネノイエ=不明)を得て帰りました。
旧本によると鉄屋は高麗の西の高楼(タカドノ)の上にありました。織帳は高麗の王の内寝(オオトノ=寝室)に張っていたといいます。

七織帳(ナナエノオリモノノトバリ)を天皇に奉り献上しました。甲(ヨロイ)を二領・金飾刀(コガネヅクリノタチ)を二口・銅鏤鍾(アカガネノエリタルカネ)を三口・五色幡(イツイロノハタ)を二竿・美女(オミナ)の媛(ヒメ)…
媛は名前です。

それらと合わせて、従女(マカダチ=女の従者)の吾田子(アタコ)を蘇我稲目宿禰大臣(ソガノイナメスクネノオオオミ)に送りました。それで大臣は二人の娘を召し入れて、妻として軽(カル=奈良県橿原市大軽町付近)の曲殿(マガリドノ)に居らせました。
鉄屋は長安寺(チョウアンジ)にあります。この寺はどこの国あるということが分かりません。
ある本によると即位11年に大伴狹手彦連は百済国とともに高麗王の陽香(ヨウコウ)を比津留都(ヒシルツ)に追い込んで退かせたといいます。
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解説

即位11年?
現在の物語が即位23年となっているのに、「ある本によると…大伴狹手彦連が百済と高麗の王を退かせたのは即位11年」と書いてあります。これは23年の書き損じと言われますが、「ある本」には実際そう書いてあったから、11年と書いたのかもしれません。
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