摂津国の三嶋郡の埴廬の新羅人の先祖

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欽明天皇(八十六)摂津国の三嶋郡の埴廬の新羅人の先祖

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原文

冬十一月、新羅遣使獻幷貢調賦。使人、悉知国家憤新羅滅任那、不敢請羅。恐致刑戮、不歸本土、例同百姓、今攝津国三嶋郡埴廬新羅人之先祖也。

現代語訳

(即位23年)冬11月新羅は使者を派遣して物を献上して、合わせて調賦(ミツキモノ=税)を献上しました。使者は国家(ミカド)が、新羅が任那を滅ぼしたことに憤怒していると知って、あえて帰ろうと請願しませんでした。罪に問われて斬り殺される刑になるのではないかと、恐れて本土に帰りませんでした。あと、百姓も同じでした。今の摂津国の三嶋郡の埴廬(ハニイオ)の新羅人の先祖です。
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解説

ほぼ同じ文章が「欽明天皇(八十)更荒郡の鸕鷀野邑の新羅人の先祖」にあります。

そちらでも、「新羅が任那を滅ぼしたこと」が原因で本土(新羅)へと使者と百姓が帰らなかったという記事になっています。
こういうこと?
大和朝廷は税として米や特産品とった「物」を徴収していましたが、それとは別に「労働」を強いていました。ということはわざわざ百姓が日本まで来てたということになります。これがどこまでマジかは、なんとも言えませんが、それなら、そのまま日本に居つくというのはありえます。まして新羅は寒い。暖かい日本の方がいいに決まってる。だから百姓のところはまぁ、いいでしょう。

使者はちょっと違います。

新羅は任那を滅ぼした。任那には官家…日本の直轄地があった。その土地を滅ぼしたということは新羅と日本は敵対関係にあったハズです。にも関わらず、日本に使者を送る。そんなことがあるのでしょうか。

わたしは日本は共和国どころか、貿易経済圏を運営する組織だったと思っています。TPPのようなものです。現在の日本はTPPに属していても、独立国家ですよね。同じように新羅も日本という「貿易経済圏組織」に属していた。属していても独立国家だった。

その新羅が任那と戦争することは日本としては好ましくないが、そこまでの束縛力は無かったし、ある程度の自由があった。任那には日本府があったが、任那自体はあくまで「独立国家」だった。だから、新羅と任那の戦争は「独立国家同士の戦争」であって、日本は新羅の「和を乱す行為」には批判的ではあったが、俗に言うような「日本vs新羅」という戦争状態とは違っていた。

新羅は日本に使者を送った。これは確かに厚かましいことなのだけど、例えば、TPPでルールを破った当事者国が会議に大臣を送って、自分の正当性を主張するようなもので、厚かましいが、その程度の厚かましさだったのだと思います。
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