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欽明天皇(九十)膳臣傾子は越へ・天皇と偽る道君
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五月、遣膳臣傾子於越、饗高麗使。(傾子、此云舸陀部古)。大使審知膳臣是皇華使、乃謂道君曰「汝非天皇、果如我疑。汝既伏拜膳臣、倍復足知百姓、而前詐余、取調入己。宜速還之、莫煩飾語。」膳臣聞之、使人探索其調、具爲與之、還京復命。秋七月壬子朔、高麗使到于近江。
現代語訳
(即位31年)5月。膳臣傾子(カシワデノオミカタブコ)を越(コシ=現在の北陸地方)に派遣して、高麗の使者と宴会をしました。
大使はよくよく調べて、膳臣が皇華(ミヤコ)の使者ということがわかりました。それで道君(ミチノキミ=越の地方氏族?)に語って言いました。
「お前、天皇ではないと、わたしが疑っていた通りではないか! お前は伏して膳臣を拝み崇めた。ますます、百姓であると分かった。そうなるとこれまで、わたしを騙し偽って、調(ミツキ=献上品・税)を取って、自分のものにした。速やかに返還するべきだ。余計な飾った言葉を言うな」
膳臣はそれを聞いて、人を使って、その調(ミツキ)を探し求めて、すべて高麗の使者に返し与えました。高麗の使者は近江に至りました。
傾子は舸陀部古(カタブコ)と読みます。
大使はよくよく調べて、膳臣が皇華(ミヤコ)の使者ということがわかりました。それで道君(ミチノキミ=越の地方氏族?)に語って言いました。
「お前、天皇ではないと、わたしが疑っていた通りではないか! お前は伏して膳臣を拝み崇めた。ますます、百姓であると分かった。そうなるとこれまで、わたしを騙し偽って、調(ミツキ=献上品・税)を取って、自分のものにした。速やかに返還するべきだ。余計な飾った言葉を言うな」
膳臣はそれを聞いて、人を使って、その調(ミツキ)を探し求めて、すべて高麗の使者に返し与えました。高麗の使者は近江に至りました。
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解説
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