古市に殯・檜隈坂合陵に葬る

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欽明天皇(九十三)古市に殯・檜隈坂合陵に葬る

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原文

五月、殯于河內古市。秋八月丙子朔、新羅遣弔使未叱子失消等、奉哀於殯。是月、未叱子失消等罷。九月、葬于檜隈坂合陵。

現代語訳

(即位32年)5月。河内の古市(フルイチ=現在の大阪府羽曳野市古市)に殯(モガリ)しました。

秋8月1日。新羅は弔いの使者として、未叱子失消(ミシシシショウ)たちを派遣して殯(モガリ)で、悲しみ泣きました。

この月に未叱子失消たちは帰りました。

9月に檜隈坂合陵(ヒノクマノサカイノミサザキ)に葬りました。

解説

モガリ
日本人はまず、モガリと呼ばれる仮葬をします。この当時は土葬でしたから、遺体をそのまま安置しておいて、遺体が白骨化するまで待って、もう復活しないな、となってから葬ります。遺族は遺体がどのくらい腐ったかをチェックする義務があり、この恐ろしい経験が、イザナギイザナミを追いかけて黄泉の国へ行った神話になった、とも言われています。
新羅との関係
欽明天皇は遺言で「新羅を打て」と皇太子に告げています。その新羅がのこのこと葬式に。わたしが思うに、漢文は儒教的な文章です。「新羅を討つ」という言葉は、古代の日本が意図した新羅政策の本質とはずれているんじゃないでしょうか。

日本は「同質」を好み、同質が「和」の条件です。日本人に「異物」を排除する性質があるのは、この「和」に入る条件が「同質」だからです。ひっくり返すと日本人の世界観に「上下」というのは無いってことです。

ところが儒教は上下関係が何よりも大事です。だから、この上下関係を維持するために、上は下を「征伐」していいことになっています。暴力・戦争が正当化されます。むしろ暴力・戦争は上下関係を維持し、社会を安定させるための大事な手段です。

漢文は中国の言葉で、当然ながら儒教の価値観で構成されています。儒教の価値観で、日本の「和」を言い表すことができるか? 当然、できなかったでしょう。日本の価値観を漢文で書いた日本書紀は、「和」を「儒教」というフィルターを通して書いたものです。儒教に無い価値観を、儒教の言葉で言い換えているはずです。

ということは「新羅を討て」と欽明天皇が言ったとしても、それが本当に「(格下の)新羅を(武力で)征伐しろ」という意味だったかは疑問です。むしろ全く違っていたでしょう。しかし、漢文には他に適切に表現する言葉がない。だから「新羅を討て」という言葉になったのではないかと思っています。
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