太宰府天満宮

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太宰府天満宮

投稿日時:2017-06-06 15:07:03
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概要


住所
福岡県太宰府市宰府4丁目7番1号
神紋梅紋
祭神菅原道真
名前安楽寺天満宮。本来は安楽寺という寺の「宮」。安楽寺の創建に関してはよく分からない。太宰府天満宮・北野天満宮・防府天満宮で「三天神」と呼ばれる。
施設
九州国立博物館があり、虹のトンネルでつながっているので歴史に興味があるのであれば必ず行くべき。
車で少し行けば太宰府政庁跡があります。
太宰府宝物殿もあります。

創建

創建の経緯
延喜3年(903年)2月25日に菅原道真の住居だった大宰府政庁の南館(=現在の榎社)で死亡しました。門弟であった味酒安行(ウマサケヤスユキ)が亡骸を牛車に乗せて安楽寺へと運ぼうとしたところ、牛が伏して動かなくなり、これは故人の意思だ!となり、その土地に菅原道真は埋葬されました。延喜5年(905年)8月に祀廟が作られました。祀廟は死者を祀る施設のことです。
●つまり現在の太宰府天満宮の土地は正確には「太宰府」でもないし、「菅原道真の死んだ家」でもないのです。

道真の死後、京都では諸々の厄災が起き、延喜9年(909年)には政敵で道真を讒言によって左遷させた張本人の藤原時平が39歳で死去。それが菅原道真の「祟り」となり、藤原仲平(道真とは敵対していない人物)が勅命…つまり醍醐天皇の命令によって延喜19年(919年)に立派な神社が建てられました。結局、醍醐天皇は930年に死んでしまいました。当時としては「道真」の祟りで死んだという認識でした。
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天神と天満宮

天神と道真
道真の祟りによって清涼殿に落雷したことから、「菅原道真=天神」という認識になりましたが、天神はそもそも菅原道真が祀られる前から信仰がありまして、道真は後から乗っかっただけ、いや、乗せられただけです。太宰府天満宮が学問の宮になったのは、菅原道真が中流貴族であるにも関わらず、勉学によって出世した天才だったことから。天満宮が学問と結びつくのはどうやら15世紀くらいからではないかと思われます。ってことは10世紀から14世紀までは、ただただ「恐ろしい祟りの宮」だったということになります。
天満宮
天満宮とは本来は天皇・皇族を祀る神社に贈られる名前で、天神ってのも本来は「天津神」であり、天皇に関わる言葉ですが、990年あたりから、天満宮とまで言われるようになります。
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