稲田神社(島根県仁多郡奥出雲町稲原)

MENU
TOP>神社>稲田神社(島根県仁多郡奥出雲町稲原)
スポンサードリンク

稲田神社(島根県仁多郡奥出雲町稲原)

投稿日時:2018-04-01 10:42:03
漢字・読みイナダジンジャ
TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket

概要

住所〒699-1821 島根県仁多郡奥出雲町稲原354
祭神稲田姫命
創建不明
施設産湯の池(稲田姫の産湯)・千家氏による小林氏の碑がある。
スサノオの妻のイナダヒメを祀る神社。稲田神社の名前が見られるのは稲田神社のHPにあるように「稲田神社の起源を示す最古の年号が神社の棟札に記された元禄15年(1702)」で、現在の社殿は昭和13年に横田町出身の九州の石炭王の小林徳一郎が「一人で」寄進したもの。相当な金持ちですな。
伝承によると現在の稲田神社を少し下ったところの笹宮というところに稲田神社の小さな祠があったらしい。
スポンサードリンク

アクセス

神社や関連する土地

スポンサードリンク

歴史背景

出雲に近いこともあり、このあたりに稲田姫の信仰はあったのだろうと思う(証拠はない)。江戸時代にはすでにあったし、それ以前にもあったろうとは思う(証拠はない)。

応仁の乱以後、中央の公家は仕事を求めて地方に出稼ぎに行きます。その結果、中央(=京都)の文化が地方へと伝播します。稲田神社の名前が江戸時代に現れたのは、京都の文化が広がって、地方にあった稲田姫信仰が見直された結果じゃないか?と個人的には思います。
出雲大社も江戸時代にオオクニヌシ信仰に切り替わっています。それ以前はスサノオを祀る仏教信仰がほとんどでした。

ところで稲田神社の宮司は「千家」つまり、出雲大社の宮司なんですが、これは出雲大社の鳥居を小林氏が寄進したことが縁だそうです。ということは稲田神社が現在の形式にあったのは実質、昭和初期ってことなんですよね。
Pre<<<  >>>Next 
スポンサードリンク

SNSボタン

TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket

ページ一覧

神社の表紙へ
スポンサードリンク

管理人リンク

編集