野見宿禰神社(出雲大社)

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野見宿禰神社(出雲大社)

投稿日時:2018-04-02 11:16:52
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概要

場所出雲大社境内内・摂社
祭神野見宿禰
創建2013年(平成25年)
つい最近できた出雲大社内の神社。

物語・由来

野見宿禰は日本書紀に二つの記事があります。一つは当摩蹶速(タギマノクエハヤ)なる人物と徒手で戦い、蹴り殺すというもの。相撲というよりはテコンドーやカポエラのような。

もう一つは殉葬(人が死んだ特に一緒に従者などを殺して埋めること)をやめて、代わりに人型の埴輪を埋めることにした!というもの。埴輪を提案した人物。

個人的コラム

よく、野見宿禰が相撲の発祥というのですが、もうひとつタケミカヅチVSタケムナカタの戦いも相撲の発祥と言いますよね。どっちも相撲とはかけ離れていると思うのですが。
ところで出雲大社遷宮の式典で日馬富士と白鵬が奉納の土俵入りをしたという記事が神社の前に張り出されていました。相手を蹴り殺した野見宿禰の神社にはある意味ではふさわしいかもしれない。


野見宿禰が埴輪を提案してことになっています。埴輪は古墳から出てくるものを見ると、人だけでなく馬や道具も同様に作られていて、殉葬が果たして本当にそもそもの理由だったのかもあやしげに思いますね。

おそらく野見宿禰の物語は神話で、宗教儀式のはじまりを表すものだったんでしょうね。埴輪を始めたのは野見宿禰だから、野見宿禰の子孫である我々がこの仕事を独占するのだ!ってところ。その神話を朝廷が正式な文書で残すということは、その主張を認めたという意味です。

相撲の件は「季節神話」がもともとじゃないかと考えています。冬が死に、春になる。なぜなら前の季節を新しい季節が殺したから。そういう儀式を野見宿禰の子孫が担当していたんじゃないかと。
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