古語拾遺39 遺りたる五

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古語拾遺39 遺りたる五

投稿日時:2019-09-09 21:44:19
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原文

又 殿祭門祭者 元 太玉命供奉之儀 齋部氏之所職也 雖然 中臣齋部共任神祇官 相副供奉 故 宮内省奏詞偁 將供奉御殿祭 而中臣齋部候御門 至于寶龜年中 初宮内少輔從五位下中臣朝臣常 恣改奏詞云 中臣 率齋部候御門者 彼省 因循永爲後例 于今未改 所遺五也

現代語訳

また、殿祭(オオトノホカイ=宮殿の安泰を願う儀式)と門祭(ミカドホカイ)はもともと太玉命(フトタマノミコト)が仕えて行う儀式であり、斎部氏がつかさどるものです。しかし、中臣氏・斎部氏は共に神祇官に任命され、ともに仕えている。宮内省(ミヤノウチノツカサ)が奏上する言葉によると
「御殿祭(オオトノホカイ)に仕えるものとして、中臣氏・斎部氏は御門(ミカド=天皇)に仕える」と言っている。
宝亀(ホウキ)の年中に初めて宮内少輔従五位下の中臣朝臣常(ナカトミノアソミツネ=中臣常)はほしいままに奏上する言葉を改めてしまい
「中臣氏は斎部氏を率いて御門(ミカド)に仕える」と言った。その省(ツカサ)はその言葉に従い、永く続く例として、現在も改めていない。
これが漏れた問題点の5つ目です。
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解説

古語拾遺によれば宝亀のときに中臣常により、旧来から続くルールが改竄されたと主張している。実際のところはよく分からない…史実としては分からないが、そう主張していることは間違い無く、この古語拾遺は天皇に「見せる」ためのもので、何の根拠もなく書いたというのも無理があると思う。
宝亀年間は770年から781年のことで、古語拾遺が書かれたのが807年で斎部広成が80歳前後だと思われるので、宝亀のことが「まったくのデタラメ」というのもちょっとどうかと。
中臣氏・藤原氏の勢いの前に横暴を指摘できなかった、という古語拾遺の指摘は正しいんじゃないかなと思う。
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