古語拾遺40 遺りたる六

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古語拾遺40 遺りたる六

投稿日時:2019-09-09 22:06:29
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原文

又 肇自神代 中臣齋部 供奉神事 無有差降 中間以來 權移一氏 齋宮寮主神司 中臣齋部者 元同七位官 而延暦初 朝原内親王 奉齋之日 殊降齋部 爲八位官 于今未復 所遺六也

現代語訳

また、神代から始まり、中臣氏と斎部氏が神事に仕えて、そこに区別はありませんでした。中間(ナカゴロ=大化の改新)から以来、権力は一氏(=中臣氏・藤原氏)に移ってしまいました。斎宮寮(=イツキノミヤノツカサ=伊勢神宮の斎宮の役所)の主神司(カムヅカサ=斎宮の関係の神事をする役職)の中臣氏・斎部氏は元は七位の官と同じだった。延暦の初めに朝原内親王(アサハラノヒメミコ)が斎宮になる日に、斎部氏を降格して八位の官職として、現在も元に戻っていない。
これが漏れている問題の六つ目です。
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解説

朝原内親王
朝原内親王は桓武天皇の娘で延暦4年(785年)に斎宮になっている。第25代目斎王。
古語拾遺によるとこのときに「わざわざ官位を下げた」のです。さすがにそれはないだろうというのが定説だけど、古語拾遺が805年の成立で、その20年前のことだとすると、当時の記憶はまだあるはずで、さすがに嘘というのも無理があるだろうと思う。
これが事実だとすると大事件のはずで、そこまで中臣氏の権力は強かった…のかもしれない。
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