鳴鏑を神体とする神

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鳴鏑を神体とする神

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原文

次に大山咋神、亦の名は山末之大主神。此の神は近淡海国の日枝の山に坐し、亦葛野の松尾に坐して、鳴鏑を用つ神ぞ。次に庭津日神。次に阿須波神。次に波比岐神。次に香山戸臣神。次に羽山戸神。次に庭高津日神。次に大土神。亦の名は土之御祖神。九神。

現代語訳

オオトシ神がアメチカルミズヒメを妻として生んだカマドの神たちの次に生まれたのが)
大山咋神(オオヤマクイ神)。別名を山末之大主神(ヤマスエノオオヌシ神)。この神は近江の日枝の山(=比叡山)に鎮座し、また、葛野の松尾に鎮座し鳴鏑を神体とする神です。

次は庭津日神(ニワツヒコ神)。
次に阿須波神(アスハ神)。
次に波比岐神(ハヒキ神)。
次に香山戸臣神(カグヤマトミ神)。
次に羽山戸神(ハヤマト神)。
次に庭高津日神(ニワタカツヒコ神)。
次に大土神。別名を土之御祖神(ツチノミオヤ神)。
以上9神です。
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解説

オオヤマクイというと、比叡山延暦寺の比叡山にいる神様。延暦寺というとお寺ですから、仏教ですよね。なのに、神道の神のいる比叡山にお寺を立て、しかもそのオオヤマクイ神が延暦寺を守護神となっているのです。変です。でもこの、宗教に対する雑な感じが、まさに日本的な宗教観なんですよね。
比叡山
オオヤマクイはその後、延暦寺の守護神として信仰を集めて山王信仰として広がりました。山王は比叡山の別名です。ところで日本の昔の文献や様々な歴史事実の解明の多くが「寺社」にのこる資料からです。実は寺社は宗教施設という性質よりも「職人や金貸し」が集合する経済都市でした。特に金貸しは強かった。寺社のバックアップを受けた金貸しは、「金を返さないと神罰・仏罰が降るぞ」と脅したために、借りた人はこの寺社関係の金貸しからお金を返すほど。神仏の罰は怖いですからね。そういった文書・資料が大量に残っているのが寺社でした。
寺社は経済都市だったのみならず…
寺社は自前の軍隊すら持っていました。僧兵というやつです。また、戦国時代には鉄砲を生産する職人も抱え、宗教とは掛け離れた存在でした。そのために信長に皆殺し・焼き討ちに会うわけです。
比叡山焼き討ちは、宗教弾圧ではなく、単なる戦争の一つと考えた方が分かりやすいです。まぁ、それはいいとして。

寺社には資料が残っているという話です。比叡山は信長により焼き討ちにあったために、コレ以前の資料がゴッソリと無いのです。しかも比叡山は日本屈指の寺社。歴史の秘密が眠っていたはずなのです。焼き討ちさえ無ければ………(もちろん焼き討ちがあったからこそ、これ以降の宗教観や状況が変わったということもありましょうけどね)、そこで中世以前の歴史研究は言うのです。
「おのれ、信長め!」……と。
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