鳰鳥の淡海の海に

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鳰鳥の淡海の海に

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原文

かれ、逢坂に逃げ退きて、対ひ立ちてまた戦ひき。ここに追ひ迫めて沙々那美(ササナミ)に敗り、悉にその軍を斬りつ。ここにその忍熊王(オシクマノミコ)と伊佐比宿禰(イサヒノスクネ)と、共に追ひ迫めらえて、船に乗りて海に浮かびて、歌ひて曰はく、

いざ吾君(アギ) 振熊(フルクマ)が 痛手負はずは 鳰鳥(ニホドリ)の 淡海の海に 潜きせなわ

とうたひて、即ち海に入りて共に死にき。

現代文訳

オシクマ王の軍勢は逢坂に退却し、そこで正面切って戦うことになりました。

しかし、神功皇后の軍勢に追い詰められ、沙々那美(ササナミ)に敗走しました。

忍熊王(オシクマノミコ)と伊佐比宿禰(イサヒノスクネ)は追い詰められ、舟に乗って海で歌いました。

いざ吾君(アギ) 振熊(フルクマ)が
痛手負はずは 鳰鳥(ニホドリ)の
淡海の海に 潜きせなわ

歌の訳さぁ、わたしの王よ
フルクマに痛手を負わされるよりは
近江の海に身を投げましょう


すぐに海に身を投げて二人とも死んでしまいました。
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解説

逢坂
ここでの逢坂は「大阪」ではなく、京都と滋賀の間の逢坂山のこと。逢坂山は滋賀県大津市。
淡海の海・沙々那美
淡海は近江。淡海の海は琵琶湖のこと。
沙々那美(楽浪)は琵琶湖の西側を指します。

いざ吾君(アギ)
この歌は物語にあわせて作られた歌と言われています。
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