スポンサードリンク
鳰鳥の淡海の海に
TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket原文
かれ、逢坂に逃げ退きて、対ひ立ちてまた戦ひき。ここに追ひ迫めて沙々那美(ササナミ)に敗り、悉にその軍を斬りつ。ここにその忍熊王(オシクマノミコ)と伊佐比宿禰(イサヒノスクネ)と、共に追ひ迫めらえて、船に乗りて海に浮かびて、歌ひて曰はく、
いざ吾君(アギ) 振熊(フルクマ)が 痛手負はずは 鳰鳥(ニホドリ)の 淡海の海に 潜きせなわ
とうたひて、即ち海に入りて共に死にき。
いざ吾君(アギ) 振熊(フルクマ)が 痛手負はずは 鳰鳥(ニホドリ)の 淡海の海に 潜きせなわ
とうたひて、即ち海に入りて共に死にき。
現代文訳
オシクマ王の軍勢は逢坂に退却し、そこで正面切って戦うことになりました。
しかし、神功皇后の軍勢に追い詰められ、沙々那美(ササナミ)に敗走しました。
忍熊王(オシクマノミコ)と伊佐比宿禰(イサヒノスクネ)は追い詰められ、舟に乗って海で歌いました。
いざ吾君(アギ) 振熊(フルクマ)が
痛手負はずは 鳰鳥(ニホドリ)の
淡海の海に 潜きせなわ
すぐに海に身を投げて二人とも死んでしまいました。
しかし、神功皇后の軍勢に追い詰められ、沙々那美(ササナミ)に敗走しました。
忍熊王(オシクマノミコ)と伊佐比宿禰(イサヒノスクネ)は追い詰められ、舟に乗って海で歌いました。
いざ吾君(アギ) 振熊(フルクマ)が
痛手負はずは 鳰鳥(ニホドリ)の
淡海の海に 潜きせなわ
歌の訳さぁ、わたしの王よ
フルクマに痛手を負わされるよりは
近江の海に身を投げましょう
フルクマに痛手を負わされるよりは
近江の海に身を投げましょう
すぐに海に身を投げて二人とも死んでしまいました。
スポンサードリンク
解説
逢坂
ここでの逢坂は「大阪」ではなく、京都と滋賀の間の逢坂山のこと。逢坂山は滋賀県大津市。
淡海の海・沙々那美
淡海は近江。淡海の海は琵琶湖のこと。
沙々那美(楽浪)は琵琶湖の西側を指します。
いざ吾君(アギ)
この歌は物語にあわせて作られた歌と言われています。
ここでの逢坂は「大阪」ではなく、京都と滋賀の間の逢坂山のこと。逢坂山は滋賀県大津市。
淡海の海・沙々那美
淡海は近江。淡海の海は琵琶湖のこと。
沙々那美(楽浪)は琵琶湖の西側を指します。
いざ吾君(アギ)
この歌は物語にあわせて作られた歌と言われています。
スポンサードリンク
SNSボタン
TWEET Facebook はてブ Google+ Pocketページ一覧
仲哀天皇(古事記)の表紙へ
- Page17 香坂王を咋ひ食みき
- Page18 その態を畏まずて軍を興し
- Page19 山代に到りし時、還り立ちて各退かずて相戦ひき
- Page20 息長帯日売命は既に崩りましぬ
- Page21 鳰鳥の淡海の海に
- Page22 伊奢沙和気大神が夢に出る
- Page23 我に御食の魚を給ひき
- Page24 酒の司 常世に坐す 石立たす 少名御神
- Page25 御子の為に答へて歌ひて曰はく
スポンサードリンク