伊奢沙和気大神が夢に出る

MENU
TOP>仲哀天皇(古事記)>伊奢沙和気大神が夢に出る
スポンサードリンク

伊奢沙和気大神が夢に出る

TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket

原文

かれ、建内宿禰命(タケシウチノスクネノミコト)、その太子(ヒツギノミコ)を率て、禊せむとして淡海(アフミ)また若狭国(ワカサノクニ)を経歴し時、高志の、前の角鹿(ツヌガ)に仮宮を造りて坐さしめき。ここに其地に坐す伊奢沙和気大神(イザサワケノオオカミ)の命、夜の夢に見えて、「吾が名を御子の御名に易へまく欲し」と云りたまひき。ここの言祷ぎて白さく、「恐し。命のまにまに易へ奉らむ」とまをしき。またその神詔りたまはく、「明日の旦、浜に幸すべし。名を易へし幣献らむ」とのりたまひき
スポンサードリンク

現代文訳

建内宿禰は皇太子(=ホンダワケ【応神天皇】)を連れて禊(ミソギ)をしようと、近江や若狭を巡り、越前の敦賀(ツルガ)に仮宮を建てて、滞在していました。

その敦賀の土地にいる伊奢沙和気大神(イザサワケ)が建内宿禰の夢に出て言いました。

「わたしの名前をその子の名前に変えたい」

ソレに対して建内宿禰は

「恐れ多いことです。
おっしゃるとおりに名を交換しましょう」

するとその神は

「明日の朝、浜に出かけなさい。
名を変えた『しるし』を差し上げましょう」

と言いました。
スポンサードリンク

解説

戦争に勝利したホンダワケは建内宿禰に連れられて、ミソギにふさわしい場所を探します。その結果、訪れたのが、「越前の敦賀」。ここで気比大神と名前の交換をします。

と理屈では分からないでもないですが、色々と変ですよね。まず脈絡が無い。なぜ建内宿禰がホンダワケを連れまわすのか? 名前を交換するって何よ? ってことです。

このあたりのことは実はハッキリとは結論が出ていません。

説について
●成人儀礼
かつて名前を変えるということが「大人」の証。成人儀礼だった。というもの。

●名を告ぐ、地位を継ぐ、儀式
気比大神はオキナガタラシヒメの先祖である新羅の皇子「アメノヒボコ(ツルヌガアラヒト)」と同一という説もあります。今回の話の舞台も「ツヌガ」ですからね。駄洒落かもしれませんが。
アメノヒボコ神功皇后の系譜をホンダワケが継いだ、という儀式?ということです。

●名前を交換するとは支配した、という意味
吉備津彦(キビツヒコ)は本来「吉備地方の強い男」という意味ですが古事記では孝霊天皇の子供として登場しています。つまり吉備を「支配下に置くということを表した」ものが「名前の交換」です。交換というか、名前を貰うわけです。

吉備津彦が吉備を支配下に置いたのではなく、吉備を支配下に置いた人物が吉備津彦と名乗れるのです。オウス命がクマソタケルを倒したときに「お前はこれからヤマトタケルと名乗れ」と改名したのも、そういうニュアンスがあったのでしょう。

個人的コラム

個人的には支配したという意味だと
ツヌガアラヒトの「ツヌガ」は「角がある」という意味ですが、実際には「ツヌガという地名に住んでる人」程度のサッパリしたものかもしれません。

アメノヒボコに関しては新羅の王子だという話もはたしてどこまで本当か? 吉備津彦(=桃太郎)の鬼退治の「ウラ」は百済の王子でした。しかし、百済の王子というのは根拠はありません。アメノヒボコに関してはグレーです。ただ、「朝鮮半島から妙な人が流れてくる」というのは古代の日本人としてはイメージとしてあったのではないか?と思うのです。

ホンダワケが名前を交換した理由
わたしはこの地域へ大和朝廷が勢力を伸ばしたのが応神天皇の時期だった、ということを物語りにしたのが、このホンダワケの名前交換ではないか?と思っています。

オオクニヌシのとき、「越の国」は日本ではありませんでした。そして応神天皇のとき「越の国」は大和朝廷の勢力化になりました。つまり「日本」になりました。

そういうことで私は応神天皇がそうであるかは、ともかく、このお話は相当に古い話だろうと思っています。神武天皇後、ヤマトタケル以前です。
Pre<<<  >>>Next 
スポンサードリンク

SNSボタン

TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket

ページ一覧

管理人リンク

編集