NHKスペシャル シリーズ遷宮 「伊勢神宮~アマテラスの謎」

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NHKスペシャル シリーズ遷宮 「伊勢神宮~アマテラスの謎」

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概要

2014年1月1日に放送されたもののまとめ。

内容1

●遷宮は日本独特の儀式。伊勢神宮は20年に一度建物を建て替える。天照大神の神体の鏡を移動させる。そのとき天皇陛下が伊勢神宮にヨウハイする。伊勢神宮の祭祀のトップは天皇陛下。伊勢と皇居がリンクする。
●1300年前から遷宮をしている。日本の誕生と重なる。
●伊勢神宮は125の宮からなる。一年に1500以上の神事がある。神職は100人以上。内宮には天照大神が。外宮にはトヨウケヒメが。
●最大の神事が式年遷宮。正宮をとなりに同じものを作って遷宮する。室町時代の一時期以外62回行っている。
遷御の儀…天照大神の鏡を移動させる。夜8時に始まる。「けーこー けーこー」鶏の鳴き声をまねた掛け声。これは天岩戸事件で天照大神を岩戸の中からおびき出すのに長鳴き鳥を鳴かせたことから。鳴き声は闇を祓い、神(=太陽つまり天照大神)を呼び出す。遷御の儀は闇の中で行う。明かりは松明のみ。夜は神の時間。
●鏡を純白の布で隠して移動させる。遷御の儀には黒田清子さんが参加した。幣帛が奉納された。
●遷御の儀は天照大神の神威を更新するため。
●伊勢神宮は独特な建築法。地中に穴を掘って柱を立てる「ほったて柱」と茅葺屋根。唯一神明づくりと言われる。ひのきは5年乾燥させる。屋根にはカツオ木。神の高貴さの象徴。正宮は古代の王宮がモデル。
●唯一神明造は風雨によって傷みやすい。当時法隆寺のように恒久的な建築方式があったのに、なぜか建て替えの必要な「唯一神明造」をするのか。
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内容2

●仏教寺院ではない形をつくったのではないか? 天皇を中心としたのではないか? 世界に例のない。建て替え続けることで新しく、若々しく。それが国家の権威であり、神威。いつから社が建てられているのかははっきりとは分からない。
●式年遷宮を初めて行ったのは持統天皇。まだ天皇の権威が確立していなかった飛鳥時代。持統天皇は天智天皇の娘で、天武天皇の妻。天智天皇と天武天皇は兄弟。
北山に たなびく雲の青雲の 星離り行き 月を離りて
と持統天皇が万葉集に詠んでいる。夫を偲んだ歌とされる。
●日本最初の都「藤原京」。5キロ四方の都。平安京・平城京よりも大きい。持統天皇は律令国家としてまとめようとしていた。大王は天皇に。倭国が日本に。
●唐と新羅を勢力と強めていた。このとき式年遷宮を行った意味。日本が独立国家としての在り方の表明として「式年遷宮」にあったのではないか。
●遷宮は8年前から御杣始祭(ミソマハジメサイ)を行い、材木を山から切り出す。材木を傷めずに切り出す技術が「三つ紐伐り」。木曽で代々の職人が切り出す。倒す時に「大山の神 左よき のぼり山 一本寝るぞ」と叫ぶ。遷宮が終わるまで木曽では8年間33の祭りが続く。
●秘儀の中の秘儀 木本祭(コノモトサイ)。心の御柱(シンノミハシラ)は極秘。謎に包まれている。正宮の中に立っている。見えないし、何も支えていない。それについて語ることは控えるべきとされ、神職は守っている。
●鎌倉時代の「心御柱記」には柱は5尺で地上に3尺、地下に2尺入っているとされる。文書には東西南北の枝に支えられ、柱の上には榊の葉が添えられる。太陽をイメージしているのだろう。
●伊勢と藤原京。持統天皇の真南に天武天皇(夫)の墓。北には天智天皇(父)の墓。藤原京の真東が伊勢神宮。
●伊勢神宮の礼拝は八度拝。拍手と礼拝を8度する。原型は持統天皇の即位式で初めて行われたと考えられる。
●オオミケは神へのお供え物。これを始めたのも持統天皇時代とされる。食事だけではなく、着物や調度品も遷宮で新しく造り変える。714種類。1576点。天照大神は着物を着て食事をする。人間のよう。
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個人的コラム

●日本人が神として崇めていたのは「自然」。それが「人格」を持ったのはいつか。沖ノ島(宗像神社)は古来、天照大神の娘(宗像三女神のこと)が祭られている。島への上陸は制限がある。女人禁制。禊が必要。島の物(葉でも何でも)は持ち出してはいけない。
岩上祭祀遺跡古墳時代の遺跡。岩の上で天を仰ぎ見る。鏡を奉納していた。鏡は太陽の象徴。
岩陰祭祀遺跡。からは食器や糸をつむぐ「タタリ」という道具が出てくる。神は「人格」を持った。着物が必要となり、食器を必要とした。神が「人」の先祖となった。
●20年に一度の説。持統天皇の行事と関係している。朔旦冬至説。朔旦は古代の暦のはじまりの11月1日のこと。冬至は日が一番短くなる日で「太陽が生まれ変わる日」。朔旦と冬至が重なるのは19年7カ月に一度。
●遷御の儀は天孫降臨を表している?遷御の儀で通る道には白い紙を引くのは天孫降臨で雲をかき分けて降りる状況と似ている。遷御の儀は天孫降臨を20年に一度再現する。
●持統天皇も孫を天皇にしようとしていた。当時、皇位継承のルールは無かったが、それでも孫に継がせるのは当時としても異常。その理由づけに天孫降臨があったのではないか?
日本書紀は文章もでたらめ。和製漢語が多い。実際には伝わらない。文体の特徴から3種に分けられる。A群(14,15,16,17,18,19,20,21,24,25,26,27)は漢文、中国人が書いていると思われる。B群(1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,22,23,28,29)は漢文を習った日本人が書いたと思われる。全く伝わらない漢文。
●天照大神・天孫降臨の話はB群のもの。神話と歴史書は別に書かれた。おそらくB群はA群より後に書かれたのではないか。
●持統天皇は死後に名付けられた名前が日本書紀30巻にある高天原廣野姫天皇。天照大神のモデルは持統天皇だったのではないか? 天皇が神になった。
●初めての遷宮後7年後に孫に皇位を譲った。持統天皇は天武天皇と共に眠っている。
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