仲哀天皇(日本書紀)

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仲哀天皇(日本書紀)

投稿:2015年01月16日 更新:2015年01月16日
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要約

事件
即位1年11月 父・ヤマトタケルを偲んで白鳥を池で飼う。白鳥献上の際に蘆髮蒲見別王が「焼けば黒鳥だ」と無礼なことを言ったので誅殺。
即位2年1月 気長足姫尊(=のちの神功皇后)を皇后とする。
即位2年2月 角鹿に行幸(笥飯宮)。を定める。
即位2年3月 紀伊国の徳勒津宮に滞在していると、九州の熊襲が叛いたと分かり、熊襲を征伐に穴門へ向かう。
即位2年6月 豊浦津に泊まる。神功皇后は後を追いかけ角鹿から出発。
即位2年7月 皇后が豊浦津に到着。如意玉を海から得る。
即位8年1月 筑紫へ。山鹿岬を通って岡浦、水門へ。船が進まなくなるが、祈祷したら進んだ。皇后の船も進まなくなるが、潮が満ちて進めるようになり、岡津に泊まる。灘県の橿日宮に滞在。
即位8年9月 神託により熊襲より朝鮮を服属させるように促されるが、仲哀天皇はこれを無視する。
即位9年2月 仲哀天皇は病気になり崩御。皇后と武内宿禰は死を隠して、穴門に移動して豊浦宮で殯を行う。
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「仲哀天皇(日本書紀)」のページ一覧

Page1 仲哀天皇(一)立太子と出自
Page2 仲哀天皇(二)父への顧情を慰めたい
父への顧情を慰めたい
Page3 仲哀天皇(三)白鳥も焼いたら黒鳥になるだろう
白鳥も焼いたら黒鳥になるだろう
Page4 仲哀天皇(四)皇后と妃とその子息
Page5 仲哀天皇(五)德勒津宮への巡狩と熊襲の反抗
德勒津宮への巡狩と熊襲の反抗
Page6 仲哀天皇(六)皇后が酒を鯽魚に注ぐと鯽魚はすぐに酔って浮かびました
皇后が酒を鯽魚に注ぐと鯽魚はすぐに酔って浮かびました
Page7 仲哀天皇(七)筑紫の岡県主の祖先の熊鰐
筑紫の岡県主の祖先の熊鰐
Page8 仲哀天皇(八)水門の大倉主と菟夫羅媛
水門の大倉主と菟夫羅媛
Page9 仲哀天皇(九)伊覩県主の祖先、五十迹手と伊覩の地名説話
伊覩県主の祖先、五十迹手と伊覩の地名説話
Page10 仲哀天皇(十)眼炎の金・銀・彩色が栲衾新羅国
眼炎の金・銀・彩色が栲衾新羅國
Page11 仲哀天皇(十一)大海を望み見ても国は無い
大海を望み見ても国は無い
Page12 仲哀天皇(十二)異伝によると…自ら熊襲を撃ちましたが、賊の矢に当たって崩御しました
熊襲を撃ちましたが、賊の矢に当たって崩御しました
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