履中天皇・反正天皇(日本書紀)

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履中天皇・反正天皇(日本書紀)

投稿:2015年05月18日 更新:2015年05月18日

要約

履中天皇の記事
仁徳天皇即位87年1月 羽田矢代宿禰の娘の黒媛を妃にしようとするが、住吉仲皇子に寝取られる。発覚を恐れた住吉仲皇子が履中天皇を殺害しようとする。なんとか平群木菟宿禰・物部大前宿禰・阿知使主のおかげで逃げる。石上の振神宮へ移動。そこで反正天皇に住吉仲皇子の殺害を命じる。反正天皇は刺領巾に命じて住吉仲皇子を殺させる。反正天皇は刺領巾を殺害。
履中天皇即位1年2月 履中天皇が磐余稚桜宮で即位。
即位1年4月 住吉仲皇子の謀反に加担した阿曇連浜子に罰として顔に刺青を入れることになる(鯨面)。
即位1年7月 葦田宿禰の娘の黒媛を皇妃に。
即位2年1月 反正天皇を皇太子に。
即位2年10月 都を磐余に移す。
即位2年11月 磐余池を作りました。
即位3年11月 磐余市磯池に両枝船を浮かべて遊ぶ。その際、季節外れの桜を見つけて磐余稚桜宮と名付ける。
即位4年8月 諸国に国史を置く。情報の伝令。
即位4年10月 石上溝を掘る。
即位5年3月 筑紫の三柱の神が宮中で怒りの声を上げるが、天皇は祈祷はしても祀らなかった。
即位5年9月 天皇は淡路島へ。馬を引いていた河内飼部の刺青の血の匂いが臭いと伊奘諾神が神託したので河内飼部の刺青を止める。風が皇妃の死を天皇に伝える。淡路島から帰る。
即位5年10月 筑紫の車持部が神の民を奪ったから皇妃が死んだと判断し、車持部の民を三柱の神に奉る。
即位6年1月 藏職を建てる。蔵部を定める。
即位6年2月 鯽魚磯別王の娘の太姬郎姫と高鶴郎姫を後宮に。二人の兄の鷲住王を呼び寄せ他が、応じなかった。
即位6年3月 履中天皇が崩御(70歳)。
反正天皇の記事
履中天皇即位2年 反正天皇が皇太子に。
反正天皇即位1年8月 津野姫を皇夫人に。
即位1年10月 河内の丹比に都を移す(柴籬宮)。
即位5年1月 反正天皇が崩御。

「履中天皇・反正天皇(日本書紀)」のページ一覧

Page1 履中天皇(一)出自と黒媛と仲皇子の鈴
Page2 履中天皇(二)焼ける宮から逃げ、当摩径を通る
焼ける宮から逃げ、当摩径を通る
Page3 履中天皇(三)安曇連浜子の追手。吾子籠は妹を献上
安曇連浜子の追手。吾子籠は妹を献上
Page4 履中天皇(四)瑞歯別皇子に木菟宿禰を添えて派遣
瑞歯別皇子に木菟宿禰を添えて派遣
Page5 履中天皇(五)刺領巾による仲皇子の殺害
刺領巾による仲皇子の殺害
Page6 履中天皇(六)罰としての黥。即位と皇妃とその子息子女
罰としての黥。即位と皇妃とその子息子女
Page7 履中天皇(七)瑞歯別皇子の立太子と磐余での執政
瑞歯別皇子の立太子と磐余での執政
Page8 履中天皇(八)掖上室山の桜
掖上室山の桜
Page9 履中天皇(九)国史の配置と筑紫の神の怒りと河内飼部の黥
国史の配置と筑紫の神の怒りと河内飼部の黥
Page10 履中天皇(十)狹名来田蔣津之命は羽狭で葬られたぞ!
狹名来田蔣津之命は羽狭で葬られたぞ!
Page11 履中天皇(十一)車持部の罪
車持部の罪
Page12 履中天皇(十二)蔵職の設置と鷲住王
蔵職の設置と鷲住王
Page13 反正天皇(日本書紀)