逢坂と狹々浪の栗林の地名説話

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神功皇后(二十二)逢坂と狹々浪の栗林の地名説話

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現代語訳

武内宿禰(タケノウチノスクネ)は精兵(トキツワモノ=精鋭兵)を出して(退却しはじめて敵軍を)追いました。丁度、逢坂(アウサカ)で会って撃破しました。そのところを名付けて「逢坂(アウサカ)」と言います。
軍衆(イクサビト)は走って逃げました。狹々浪(ササナミ=近江国滋賀郡)の栗林(クルス=近江国滋賀郡の栗津=現在の滋賀県大津市膳所の栗栖)で沢山の兵を斬り殺しました。この土地に血が流れて栗林にあふれました。このことを憎んで現在でも、その栗林(クルス)の木の実を御所(オモノ=天皇の食事を調理するところ)に献上しません。
忍熊王(オシクマノミコ)は逃げて隠れるところがありませんでした。そこで五十狹茅宿禰(イサチノスクネ)を呼び寄せて歌を歌いました。

いざ吾君(アギ) 五十狭茅宿禰(イサチスクネ)
たまきはる 内(ウチ)の朝臣(アソ)が
頭槌(クブツチ)の 痛手(イタテ)負(オ)はずは
鳰鳥(ニホドリ)の 潜(カヅキ)せな

歌の訳さぁ、我らの君主の五十狭茅宿禰(イサチスクネ)!
たまきはる(=枕詞)の武内宿禰の兵隊によって槌で負傷してしまう前に、カイツブリ(=水鳥の種類の名前)のように水に潜ってしまおう。

敵の兵器で頭をかち割られて死ぬくらいなら、自ら水に入って死んでしまおう…という意味。

そうして二人とも瀬田(セタ=滋賀県の瀬田川)の沈んで死んでしまいました。
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解説

栗林と血
日本人は穢れを嫌います。穢れにまみれるということは、死に近づくものです。といっても、私たちは世俗の穢れを少なからず身に浴びて生活しています。ところが、穢れと遠い存在があります。それが天皇です。天皇は古代では「スメラミコト」と呼んでいました。スメラは「清らか」という意味です。

天皇は穢れてはいけません。穢れの代表が「死」であり、「血」です。この血を吸った栗を天皇が食べる訳にはいきません。だから栗林の木の実は天皇に献上されなかったのです。
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原文

武內宿禰、出精兵而追之、適遇于逢坂以破、故號其處曰逢坂也。軍衆走之、及于狹々浪栗林而多斬、於是、血流溢栗林、故惡是事、至于今其栗林之菓不進御所也。忍熊王、逃無所入、則喚五十狹茅宿禰、而歌之曰、

伊裝阿藝 伊佐智須區禰 多摩枳波屢 于知能阿曾餓 勾夫菟智能 伊多氐於破孺破 珥倍廼利能 介豆岐齊奈

則共沈瀬田濟而死之。
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