大前小前宿禰が 金門陰 斯く寄り来ね 雨立ち止めむ

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大前小前宿禰が 金門陰 斯く寄り来ね 雨立ち止めむ

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読み下し文

是を以ちて百官及び天の下の人等と輕の太子を背きて穴穗の御子に歸りき。爾くして輕の太子、畏みて大前小前宿禰の大臣の家に逃げ入りて兵器を備え作りき【爾の時に作れる矢は其の箭の内を銅とせり。故、其の矢を號けて輕箭と謂う】。穴穗の王子もまた兵器を作りき【此の王子の作れる矢は即ち今時の矢ぞ。是は、穴穗箭と謂う】。ここに穴穗の御子、軍を興して大前小前宿禰の家を圍みき。爾くして其の門に到りし時に大氷雨零りき。故、歌いて曰く、
意富麻幣袁麻幣須久泥賀 加那斗加宜 加久余理許泥 阿米多知夜米牟
爾くして其の大前小前宿禰、手を擧げ膝を打ちて、舞い訶那傳【訶より下の三字は音を以ちてす】、歌いて參い來たり。其の歌に曰く、
美夜比登能 阿由比能古須受 淤知爾岐登 美夜比登登余牟 佐斗毘登母由米
この歌は宮人振である
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現代語訳

百官(モノノツカサ=官僚・役人)と天下の人たちは、軽太子(カルノヒツギノミコ)に背いて穴穂御子(アナホノミコ)に寄りました。それで軽太子は恐ろしくなって大前小前宿禰大臣(オオマエオマエノスクネノオオオミ)の家に逃げ込んで兵器(ツワモノ)を備えて作りました。
その時に作った矢はその矢の内側を銅としました。その矢を軽箭(カルヤ)といいます。

穴穂王子(アナホノミコ)もまた兵器(ツワモノ)を作りました。
この王子が作った矢は現在使っている矢です。これを穴穂箭(アナホヤ)といいます。

穴穂御子(アナホノミコ)は軍(イクサ)を起こして大前小前宿禰(オオマエオマエノスクネ)の家を囲みました。その門に到着したときに大氷雨(オオヒサメ=激しい雹や霰)が降りました。それで歌いました。
大前小前宿禰が 金(カナ)門(ト)陰(カゲ) 斯(カ)く寄(ヨ)り来ね 雨立ち止めむ
歌の訳大前小前宿禰の家の金の門の陰に、こうして寄って来い。雨が止むのを立って待っていよう。

するとその大前小前宿禰が手を挙げ、膝を打って舞い奏でながら歌ってやってきました。その歌によると
宮人の 足結(アユイ)の小鈴(コスズ) 落ちにきと 宮人響(トユ)む 里人もゆめ
歌の訳宮の人が袴を膝で止める足結(アユイ)の紐の小鈴を落としてしまったと、宮の人が騒いでいます。里人は騒ぐなよ

この歌は宮人振(ミヤビトブリ)です。
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解説

軽矢と穴穂矢
矢の内側を「銅」としたとあるのですが、どの部分を銅としたのは分かりません。銅が軽いということはそれ以前は「鉄」で作っていたと考えるべきです。つまり日本では資材の歴史が銅より鉄の方が古いのか、鉄の方が一般的に使われていた、ということになります(もしくは銅は技術不足からか用途が限られていた)。本当かどうかは分からないけど。

仮にそれが本当だとして……

日本の鉄の精製方法はどこから伝わったのかは分かっていません。多分、中国とか朝鮮だろうと言う人もいますが、中国は鉄より銅の精製に長けていて鉄の技術は一部だけでした。朝鮮には鉄の精製方法がありましたが、朝鮮では鉄鉱石が豊富に取れて鉄器は型に流し込んで作る「鋳型」でした。でも日本ではタタラで、鉄を叩いで焼きしめるのです。作り方が全然違います。

この時代に矢を銅で作るということは、この時代に銅精製の新技術が伝わったのかもしれません。おそらくは朝鮮半島を通じてというか、百済を通じてでしょう。
大前小前宿禰
この人物は他にでてこないので、実在したのかはどうも不明。ちなみに日本書紀では「物部大前宿禰」というのが登場するので、これが同一人物とされます。
大前小前宿禰が 金(カナ)門(ト)陰(カゲ) 斯(カ)く寄(ヨ)り来ね 雨立ち止めむ
という歌は、大きなお屋敷の門に雨宿りする歌じゃないかと思うのですよ。それで大前小前宿禰というのは、「大金持ちの大家主」みたいなニュアンスの言葉で深い意味はないんじゃないかとも思っています。
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