国史の配置と筑紫の神の怒りと河内飼部の黥

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履中天皇(九)国史の配置と筑紫の神の怒りと河内飼部の黥

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現代語訳

即位4年秋8月8日。諸国に国史(フミヒト)を置きました。言事(コトワザ)を記して四方(ヨモ=国内)の志(フミ=文=情報)を送らせました。

冬10月石上溝(イソノカミウナデ)を掘りました。

即位5年春3月1日。筑紫にいる3柱の神が宮中(オオミヤノウチ)に現れて、言いました。
「どうして我が民を奪ったのか! 私は今、お前に恥をかかせてやろう」
天皇は祈祷はしましたが祀りませんでした。

秋9月18日。天皇は淡路島に狩りに行きました。この日に河内飼部(カワチノウマカイベ)たちは従者として付いてきて、轡(オオミマノクチ=馬の口につけた手綱)をとっていました。これ以前のことで、飼部の黥(メサキノキズ)は皆、癒えていませんでした。その時に、嶋に居た伊奘諾神(イザナギノカミ)は祝部(ホフリベ=神官)に託宣していいました。
「血が臭くて耐えられない」
それで占いました。
占いによると
「飼部(ウマカイベ)の黥(メサキノキズ)の匂いを憎んでいる」
これより後、それまで行っていた飼部の黥(メサキ)を止めてしまいました。
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解説

筑紫の三柱の神
一般的には「宗像三女神」とされます。ここでは神が恥をかかせるぞ!と脅しているのですが、祈祷はしても祀らないという、ちょっと舐めた態度で接しています。
穢れについて
日本人は穢れを嫌います。穢れとは根本としては感染症というか腐臭を嫌うという性質です。飼部は日頃から馬と接していますから獣臭がするのですね。それに動物の屍体と触れない訳がないのです。だから飼部はそもそも朝鮮人にやらせていました。

顔の刺青はそもそもは海人族の風習です。畿内の中央の人から見ると海人のその風習は奇妙奇天烈だったでしょう。わたしは飼部の人間にその「顔の刺青」という風習をやらせたんじゃないかと思うのですね。穢れた飼部という仕事、そして、異族の奇妙な風習。これを組み合わせて、黥(メサキノキズ)を「飼部というのは卑しい仕事」という印にした。

河内飼部という集団は朝鮮人だった。そこで日本人がやらない・・・というか出来ない「馬を飼う」という仕事をした。しかしその仕事はあくまで卑しいから日本人がやりたがらない仕事であり、その証拠として顔に刺青をやらされた。それが伊奘諾(イザナギ)の宣託によって切り離された。つまり、飼部はこの時に「日本人」になった、というべきじゃないかと思うのです。
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原文

四年秋八月辛卯朔戊戌、始之於諸国置国史、記言事達四方志。冬十月、堀石上溝。

五年春三月戊午朔、於筑紫所居三神、見于宮中、言「何奪我民矣、吾今慚汝。」於是、禱而不祠。秋九月乙酉朔壬寅、天皇狩于淡路嶋。是日、河內飼部等從駕執轡。先是、飼部之黥皆未差。時、居嶋伊奘諾神、託祝曰「不堪血臭矣。」因以、卜之、兆云「惡飼部等黥之氣。」故自是以後、頓絶以不黥飼部而止之。
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