皇極天皇(二十三)大生部多の虫と常世の神・秦造河勝は神を打つ

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皇極天皇(二十三)大生部多の虫と常世の神・秦造河勝は神を打つ

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原文

秋七月、東国不盡河邊人大生部多、勸祭蟲於村里之人曰、此者常世神也。祭此神者、到富與壽。巫覡等、遂詐託於神語曰、祭常世神者、貧人到富、老人還少、由是、加勸捨民家財寶、陳酒陳菜六畜於路側、而使呼曰、新富入來。都鄙之人、取常世蟲、置於淸座、歌儛、求福棄捨珍財。都無所益、損費極甚。於是、葛野秦造河勝、惡民所惑、打大生部多。其巫覡等、恐休勸祭。時人便作歌曰、

禹都麻佐波、柯微騰母柯微騰、枳舉曳倶屢、騰舉預能柯微乎、宇智岐多麻須母。

此蟲者、常生於橘樹、或生於曼椒。(曼椒、此云褒曾紀。)其長四寸餘、其大如頭指許、其色緑而有黑點。其皃全似養蠶。
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現代語訳

(即位3年)秋7月。東国(アズマノクニ)の不尽河(フジノカワ=長野県・山梨県・静岡県を通る富士川)のほとりに住む人である大生部多(オオフベノオオ)は虫を祀ることを村里の人に勧めて言いました。
「これは常世の国の神です。この神を祀るものは富と長寿を得る」
巫覡(カムナキ=男女の神官)たちは、欺いて神語(カムコト=神の言葉)に託宣して言いました。
「常世の神を祀れば、貧しい人は富を得て、老いた人は若返る」
それでますます勧めて、民の家の財宝を捨てさせ、酒を陳列して、野菜や六畜(ムクサノケモノ=6種の家畜=牛・馬・羊・豚・狗【イヌ】・鶏)を道のほとりに陳列して、呼んで言いました。
「新しい富が入って来た!」
都の人も鄙(ヒナ=田舎)の人も、常世の虫を取って、清座(シキイ=敷居=虫を祀る座なので清らかという字を当てた)に置いて、歌い舞い、幸福を求めて珍財(タカラ=珍しい宝)を棄捨しました。それで得られるものがあるわけもなく、損失がただただ極めて多くなるばかり。それで葛野(カドノ=山城国葛野郡=現在の京都府京都市右京区など)の秦造河勝(ハダノミヤツコカワカツ)は民が惑わされているのを憎んで、大生部多を打ちました。その巫覡(カムナキ)たちは恐れて、勧めて祀ることを止めました。その時の人は歌を作って言いました。
太秦(ウツマサ)は 神とも神と 聞え来る 常世の神を 打ち懲(キタ)ますも
歌の訳太秦が、神の中の神と噂に聞こえて来る常世の神を、打ち、懲らしめたよ!

この虫は常に橘(タチバナ)の木になる。あるいは曼椒(ホソキ=ハジカミの木=山椒)になる。
曼椒は褒曾紀(ホソキ)と読みます。

その虫は長さが4寸あまり。その大きさは親指ほど。その虫の色は緑で黒い点があります。その形は、蚕に似ています。
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解説

アゲハ蝶の幼虫
虫を崇めた民間信仰を秦造河勝が打ち倒しました。その虫が「タチバナ」と「山椒」につくというのですね。タチバナも山椒もミカン科植物で、この柑橘系の葉っぱを専門に食べるのが「揚羽蝶」です。

「タチバナ」というのは香りがあり、古来から特別視されていて、それを食べる揚羽蝶を特別視したのは当然かもしれません。また幼虫が蛹になり蝶になるのも、「富」とか「若返る」とかと関連付けて考えたとしても不思議じゃないです。
秦造河勝
秦造河勝は聖徳太子(厩戸皇子)から仏像を受け取り、蜂岡寺を作っています。秦氏はそれ以前からも朝廷に関わっていて、太秦という名前は雄略天皇の時代に秦酒公が賜った名前で、秦氏を表す言葉です。

この記事の意味
虫を崇めると言う民間信仰は道教に近いものです。もしかすると、この時代に始まったのではなく、これより以前から脈々とあった信仰かもしれません。それを聖徳太子から仏像を賜った秦造河勝が打ち倒すということは、仏教が民間信仰を圧迫したということでしょう。

仏教の本質は「執着心を無くす」ということです。執着心をなくすことで輪廻の円環から抜け出し、解脱することを目的としているのです。一方、虫を崇める宗教は、財宝や珍財を「棄捨」させたとあります。これは仏教の「執着心を捨てる」と丸かぶりなんです。仏教も、仕事・財産・家族・地位を捨てて出家して「解脱」を目指します。

虫を崇める宗教は「解脱」を目指したわけじゃないですが、要は手法が一緒なわけです。これは共産党と公明党が「キャラが丸かぶり」だからいがみ合うのと一緒でしょうね。
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