天武天皇(五十四)大解除の供物・死刑と没官と三流

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天武天皇(五十四)大解除の供物・死刑と没官と三流

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現代語訳

(即位5年)8月2日。親王(ミコタチ)より下、小錦より上の大夫(マヘツキミ=臣下たち)、および皇女(ヒメミコ)、姫王(オオキミ)・内命婦(ヒメマヘツキミ)たちに、食封(ヘヒト)を支給し、それぞれに品がありました。
8月16日。詔(ミコトノリ)して言いました。
「四方(ヨモ=国中)に大解除(オオハラエ=大祓え=穢れを祓う儀式)をする。祓いに用いる物は国ごとに国造が輸送しなさい。祓柱(ハラエツモノ=供物)は馬1匹・布1常。これ以外は郡司。刀一口・鹿皮一張・钁(クワ)一口・刀子一口・鎌一口・矢一具・稲一束。また、戸ごと(=家ごと)に麻を1条」
8月17日。詔(ミコトノリ)して言いました。
「死刑・没官(ツカサニオサムルツミ=大罪を犯して死刑になった人の家族は奴隷に、資材は官物になること)・三流(ミッツノナガスツミ=遠流・中流・近流)は1段階、下げなさい。徒罪(ミツカフツミ=上記の罪より下の罪のこと・徒と杖と苔という罪)より下は、すでに発覚しても、まだ発覚していなくても、すべて許せ。ただしすでに配流されたものは、許さないで良い」
この日に諸国に詔(ミコトノリ)して、放生(イキモノハナタシム=捕らわれている動物を放つ、仏教の行事)しました。
この月に大三輪真上田子人君(オオミワノマカムダノコビトノキミ)が亡くなりました。天皇はそれを聞いて、とても悲しみました。壬申の年の功績を持って、内小紫位を送りました。それで、名付けて大三輪真上田迎君(オオミワノマカムダノムカエノキミ)と言うようになりました。
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解説

これまでの大和朝廷では、国というと畿内のことでした。畿内は特別で、その外の地域は、国外という感覚がありました。日本という国はこれ以前は、現代でいう国というよりは、幾つかの国が集まった共和国、もしくはそれよりも結びつきの弱い、共同体といったものだったのでしょう。

それが天武天皇によって、国内は、分かりやすい「国」というものになっていった。それが、「全国から、儀式のための供物を集める」という活動に現れたのでしょう。

古代以降、これまで何度も試みられていた「中央集権」という夢がここで形になったのです。
大三輪眞上田迎君
日本書紀では三輪君子首(ミワノキミコビト)と書いてありました。

三輪君子首は鈴鹿関で大海人皇子と合流しました。この「大海人皇子を迎えた」ことが、大三輪眞上田迎君と呼ばれるようになる由来でしょう。
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原文

八月丙申朔丁酉、親王以下小錦以上大夫及皇女・姬王・內命婦等、給食封各有差。辛亥、詔曰「四方爲大解除、用物則國別國造輸。秡柱、馬一匹・布一常。以外郡司、各刀一口・鹿皮一張・钁一口・刀子一口・鎌一口・矢一具・稻一束。且毎戸、麻一條。」壬子、詔曰「死刑・沒官・三流、並降一等。徒罪以下、已發覺・未發覺、悉赦之。唯、既配流不在赦例。」是日、詔諸國以放生。是月、大三輪眞上田子人君、卒。天皇、聞之大哀。以壬申年之功、贈內小紫位、仍謚曰大三輪眞上田迎君。
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