天武天皇(八十九)三韓人の調税免除・多禰嶋の地図と風俗

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天武天皇(八十九)三韓人の調税免除・多禰嶋の地図と風俗

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現代語訳

(即位10年)8月11日。大錦下の上毛野君三千(カミツケノノキミミチヂ)が亡くなりました。
8月10日。三韓の諸々の人に詔(ミコトノリ)して言いました。
「先日。10年の調税(ミツキオオチカラ)を許したことは、すでに終わった。また、加えて、帰化して初めの年に一緒に来た子孫は、一緒の課役(エツキ=労役)はすべて免除する」
8月16日。伊勢国は白茅鴟(シロイイドヨ=白いフクロウ)を献上しました。
8月20日。多禰嶋(タネノシマ=種子島)に派遣した使者たちは多禰国の地図を献上しました。その国は、京(ミヤコ)から5000里あまり。筑紫の南の海に有ります。髪を切って、草の裳(モ=腰に身につける衣服)を着ています。粳稲(イネ)は常に豊かです。1回植えると二回収穫があります。土毛(クニツモノ=特産品)は支子(クチナシ)と莞子(カマ=イグサ=むしろを作る材料)と種々の海産物が多いです。この日に若弼(ニャクヒツ)が帰国しました。
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解説

三韓の帰化
日本は朝鮮人の帰化を奨励していました。朝鮮人は帰化して10年は税金が免除され、子孫も同様でした。ただ、文章を読む限りは、子孫が免除されるのは、『一緒に渡来した子』だけで、日本で生まれたのは違っていたと思いますね。

日本人は朝鮮人を重宝しました。日本人は穢れを嫌うあまり、出来ない業務が多かったからです。もちろん優秀な人材を求めてというのもあったでしょう。
種子島
種子島の記述はすでにありました。ここでは地図やその土地の情報が記載されています。朝廷には種子島が魅力的に見えたんじゃないかと思います。稲を一度植えると2回収穫があるなんて、米が基盤となっている大和朝廷からしたら、魅力的でしょうね。
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原文

八月丁卯朔丁丑、大錦下上毛野君三千卒。丙子、詔三韓諸人曰「先日復十年調税既訖。且加以、歸化初年倶來之子孫、並課役悉免焉。」壬午、伊勢國貢白茅鴟。丙戌、遣多禰嶋使人等貢多禰國圖、其國去京五千餘里、居筑紫南海中、切髮草裳、粳稻常豐、一殖兩收、土毛支子・莞子及種々海物等多。是日、若弼歸國。
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