天武天皇(百二十二)歌と笛を子孫に・大安殿で博戯・天皇の病

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天武天皇(百二十二)歌と笛を子孫に・大安殿で博戯・天皇の病

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現代語訳

(即位14年)この日(9月15日)に詔(ミコトノリ)して言いました。
「おおよそ諸々の歌男(ウタオ)・歌女(ウタメ)・笛吹く者は、すぐに自分の子孫に伝え、歌笛を習わせなさい」
9月18日。天皇は大安殿(オオアンドノ)に居て、王(オオキミ)たちと卿(マヘツキミ=臣下)たちを宮殿の前に呼び寄せて、博戯(ハクギ=双六などの博打)をしました。
この日(9月18日)に、宮処王(ミヤトコロノオオキミ)・難波王(ナニワノオオキミ)・竹田王(タケダノオオキミ)・三国真人友足(ミクニノマヒトトモタリ)・県犬養宿禰大侶(アガタノイヌカイノスクネオオトモ)・大伴宿禰御行(オオトモノスクネミユキ)・境部宿禰石積(サカイベノスクネイワツミ)・多朝臣品治(オオノアソミホムジ)・采女朝臣竹羅(ウネメノアソミツクラ)・藤原朝臣大嶋(フジワラノアソミオオシマ)、計10人に御衣袴(オオミソオミハカマ)を与えました。
9月19日。皇太子より下と、諸王卿(オオキミタチマヘツキミタチ=王族と臣下たち)の合わせて48人に、羆(シクマ=ヒグマ)の皮・山羊(カマシシ)の皮を与えました。それぞれに品がありました。
9月20日。高麗国の派遣した使者たちが帰りました。
9月24日。天皇が病気になったので、三日間、お経を大官大寺・川原寺・飛鳥寺で誦ませました。それで稲を三つの寺に納めました。それぞれに品がありました。
9月27日。自分から帰化した高麗人たちに禄(モノ)を与えました。それぞれに品がありました。
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解説

歌男・歌女・笛吹くもの
こういう記述があるということは、それ以前は歌や笛の技術は、伝えられていなかったのでしょうか。そんなわけないと思います。そういう伝統が廃れていることに、危機感を抱いたということじゃないかと思います。そういえば日本書紀や古事記の編纂のきっかけが、「嘘の神話が跋扈するからー!」とありましたよね。
この時代に、「神話や文化とは自己のアイデンティティに関わるもの」という意識が芽生えたんじゃないかと思うのです。だから、文化保護を天武天皇は進めた?のではないかと。
博戯!!
双六などのゲームを何かを賭けて行ったよう。博打ですよね。結構、のんびりしてますよね。
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原文

是日、詔曰、凡諸歌男・歌女・笛吹者、卽傳己子孫令習歌笛。辛酉、天皇、御大安殿、喚王卿等於殿前以令博戲。是日、宮處王・難波王・竹田王・三国眞人友足・縣犬養宿禰大侶・大伴宿禰御行・境部宿禰石積・多朝臣品治・采女朝臣竹羅・藤原朝臣大嶋、凡十人賜御衣袴。壬戌、皇太子以下及諸王卿、幷卌八人賜羆皮山羊皮、各有差。癸亥、遣高麗国使人等還之。丁卯、爲天皇體不豫之、三日誦經於大官大寺・川原寺・飛鳥寺、因以稻納三寺各有差。庚午、化來高麗人等賜祿各有差。
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