弟苅羽田刀弁(オトカリハタトベ)

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弟苅羽田刀弁

投稿日時:2017-06-05 15:28:22
漢字・読みオトカリハタトベ
別名綺戸邊(カニハタトベ)
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概要

苅羽田刀弁(オトカリハタトベ)は古事記に登場する人物。
日本書紀で対応する名前は綺戸邊(カニハタトベ)。
女性。
垂仁天皇(11代)の妃。
古事記でも日本書紀では男女の子供を産んでおり、娘の石衝毘売命(イハツクビメ)はヤマトタケルの妃になっている。

名前で考える
カリハタ・カニハタはおそらく「機織り」のハタか、「畑」か。
親が山代とあるので山代国の女神が原型だと思われます。

出自

古事記
大国之淵(オオクニノフチ)
配偶者不明
苅羽田刀弁(カリハタトベ)
苅羽田刀弁(オトカリハタトベ)

日本書紀
山背大国不遲(ヤマシロオオクニノフチ)
配偶者
山背苅幡戸邊(ヤマシロノカリハタトベ)
綺戸邊(カニハタトベ)
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婚姻と子孫

古事記
伊久米伊理毘古伊佐知命…垂仁天皇
弟苅羽田刀弁(オトカリハタトベ)…大国之淵(オオクニノフチ)の娘
石衝別王(イハツクワケノミコ)…羽咋君・三尾君の祖先
石衝毘売命(イハツクビメ)…別名が布多遅能伊理毘売命(フタヂノイリビメ)で倭建命ヤマトタケル)の妻。

日本書紀
活目入彦五十狹茅天皇…垂仁天皇
綺戸邊(カニハタトベ)…山背大国不遲(ヤマシロオオクニノフチ)の娘
磐衝別命(イワツクワケノミコト…三尾君(ミオノキミ)の始祖
もう一人、古事記でヤマトタケルの妻となった両道入姫命(=古事記での石衝毘売命)の名前があるべきだが、日本書紀の垂仁天皇紀では見られない。ただし「仲哀天皇(一)立太子と出自」ではヤマトタケルの妃で「両道入姫命は垂仁天皇の娘」という記述がある。
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引用

古事記からの引用
垂仁天皇の后妃と御子2
また大国之淵(オオクニノフチ)の娘の弟苅羽田刀弁(オトカリハタトベ)を娶って産んだ子供が
石衝別王(イハツクワケノミコ)
石衝毘売命(イハツクビメ)…別名が布多遅能伊理毘売命(フタヂノイリビメ)です。
この二柱です。

日本書紀からの引用
垂仁天皇(二十一)山背の綺戸邊
即位34年春3月2日。
天皇は山背(ヤマシロ)に行きました。
そのとき、左右(モトコ=側の人)が言いました。
「この国に佳人(=カオヨキヒト=美人)がいます。
綺戸邊(カニハタトベ)といいます。
姿形(カオカタチ)は美麗。
山背大国不遲(ヤマシロオオクニノフチ)の娘です」
天皇は矛(ホコ)を取って誓約をしました。
「必ず!
その佳人(カオヨキヒト)と結ばれるなら!!
道にその兆候が見える!」
行宮(カリノミヤ=移動先の仮の宮殿)に到着するところで大きな亀が川の中から出てきました。天皇は矛を上げて、亀を刺しました。すぐに亀は白い石になりました。
左右(モトコ=側の人)は言いました。
「この物から推し測るに、験(シルシ)なのでしょう」
そこで綺戸邊(カニハタトベ)を呼び寄せて、後宮(ウシロノミヤ)に入らせました。
磐衝別命(イワツクワケノミコト)を生みました。三尾君(ミオノキミ)の始祖です。
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