第八段一書(五)浮宝が無ければ困るだろう

MENU
TOP>日本書紀神代上>第八段一書(五)浮宝が無ければ困るだろう
スポンサードリンク

第八段一書(五)浮宝が無ければ困るだろう

TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket

原文

一書曰、素戔鳴尊曰「韓鄕之嶋、是有金銀。若使吾兒所御之国、不有浮寶者、未是佳也。」乃拔鬚髯散之、卽成杉。又拔散胸毛、是成檜。尻毛是成柀、眉毛是成櫲樟。已而定其當用、乃稱之曰「杉及櫲樟、此兩樹者、可以爲浮寶。檜可以爲瑞宮之材。柀可以爲顯見蒼生奧津棄戸將臥之具。夫須噉八十木種、皆能播生。」于時、素戔鳴尊之子、號曰五十猛命。妹大屋津姫命、次枛津姫命、凡此三神、亦能分布木種、卽奉渡於紀伊国也。然後、素戔鳴尊、居熊成峯而遂入於根国者矣。

棄戸、此云須多杯。柀、此云磨紀。

経緯

第八段一書(五)
ある書によると…
スサノオは言いました。
「韓国の島には金銀がある。
もしもわたしの子孫が納める国に、浮宝(ウキタカラ=船)が無ければ、困るだろう」

それでヒゲを抜くと杉の木に成りました。
胸毛を抜くとヒノキになりました。
お尻の毛を抜くとマキとなりました。
眉毛はクスノキになりました。
スサノオはこれらの木々の用途を決めました。

「杉とクスノキは船に使え。
ヒノキは宮殿を作るのに使え。
マキは人民の奧津棄戸(オキツスタエ=棺桶)に使え。
その他の食べる八十木種(ヤソコダネ=沢山の種子)はよく蒔いて、育てなさい」

スサノオの子は、五十猛命(イタケルミコト)と妹の大屋津姫命(オオヤツヒメ)、もう一人の妹の枛津姫命(ツマツヒメ)といいます。

この三柱の神は、よく木の種を蒔きました。
この三柱の神は、紀伊国に祀ってあります。

スサノオはその後、熊成峯(クマナリノミネ)に居て、やがて根の国に行きました。
棄戸は須多杯(スタヘ)といいます。
柀は磨紀(マキ)といいます。
スポンサードリンク

解説

ウキタカラ
「浮・宝」で船のことです。古代の日本人は船をそういう風に見ていたんですね。豊かなもの、便利なもの、素晴らしい何かは、海の向こうからやってくるという感覚があったということです。今でも日本人は外来のものを有難がります。そこから吸収し、最後は自分の文化に取り込んでしまうのです。
韓国の金銀
金銀というのは「鉄鉱石」のことです。韓国、つまり朝鮮半島には現在でも鉄鉱石が取れます。古代の日本人は朝鮮半島に鉄鉱石を取りに行っていました。これは魏志倭人伝にも乗っています。

しかし日本では昔からタタラ製鉄があり、鉄鉱石を必ずしも必要としていませんでした。またタタラによる錬成した鉄器は非常に丈夫で、当時の朝鮮半島の型に流し込む鉄器なんておもちゃみたいなものです。
タタラ製鉄の成立は不明。日本のタタラ製鉄はどうやら鉄鉱石による製鉄よりもかなり古いと見られています。その技術が何処から来たのか????当然朝鮮半島は経由していないと思われます。大きな謎です。

鉄鉱石からの製鉄は効率が良い。タタラは手間が掛かり、量が作れない。日本でも徐々に鉄鉱石による製鉄が主流になったと思われます。その中で力を持ったのが吉備。吉備から鉄鉱石が取れたからです。しかしそれも掘りつくすと衰退しました。
平安・鎌倉時代には鉄鉱石の輸入は行っていません(あったとしても少量)。ということは、国内の鉄器はタタラ製鉄だけでも十分な量が取れたということではないでしょうか???

個人的コラム

縄文人は海洋民族でした。
弥生人もどうやら海洋民族です。

海運は彼らの生活の基盤だったはずです。
その基盤をそろえたのがスサノオ、というお話です。
Pre<<<  >>>Next 
スポンサードリンク

SNSボタン

TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket

ページ一覧

スポンサードリンク

管理人リンク

編集