第八段一書(六)-2粟の茎に昇ったら、はじかれて常世の国へ

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第八段一書(六)-2粟の茎に昇ったら、はじかれて常世の国へ

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原文

嘗大己貴命謂少彦名命曰「吾等所造之国、豈謂善成之乎。」少彦名命對曰「或有所成、或有不成。」是談也、蓋有幽深之致焉。其後、少彦名命、行至熊野之御碕、遂適於常世鄕矣。亦曰、至淡嶋而緣粟莖者、則彈渡而至常世鄕矣。自後、国中所未成者、大己貴神、獨能巡造、遂到出雲国、乃興言曰「夫葦原中国、本自荒芒、至及磐石草木咸能强暴。然、吾已摧伏、莫不和順。」遂因言「今理此国、唯吾一身而巳。其可與吾共理天下者、蓋有之乎。」

現代語訳

第八段一書(六)-2
かつて、大己貴命(オオナムチ)は少彦名命(スクナヒコナ)に言いました。
「わたしたちが作った国は、良くなったと言えるだろうか??」
スクナヒコナは答えました。
「あるところは良く成りました。
あるところは良く成ってないところがあります」

この会話には、非常に深い意味があるのでしょう。

その後、スクナヒコナ熊野の御崎に行って、そこから常世郷(トコヨノクニ)に行ってしまいました。

別伝によると淡嶋(アワノシマ)へ行って、粟の茎に昇ったら、はじかれて常世の国へ行ってしまったとも言わています。

スクナヒコナが居なくなってしまいましたが、まだ国は未完成のところがあります。オオナムチは一人でよく国を回り、出雲の国に辿り着き、云いました。
「葦原中国(アシハラナカクニ=日本)は元々は荒れ果てていた。岩から草木まで何もかも、酷いものだった。しかし、わたしが砕いて、従わないものは無くなった。
さらに言葉をつづけました。
「今、この国を治めるのは、ただ私だけ。
わたしと共に国を天下を治めるものがどこにいるか??!」
古事記の対応箇所
スクナヒコナは常世の国へ
国つくりのパートナーが欲しい
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性格・能力

スクナヒコナと淡島
粟島神社とか淡島神社と呼ばれる神社が祀っているのはスクナヒコナ。ただし、これは明治の国家神道の中で神仏が分離したときに無理くり「スクナヒコナ」にされたという面もあり、元々は「淡島神」という民間信仰の神だったと思われる。ただし淡島神がなんのかはハッキリしない。
熊野之御碕
島根県松江市八雲町熊野の熊野大社と言われています。
淡嶋
鳥取県米子市彦名町の粟嶋神社と言われています。
この会話には深い意味が
なぜこの会話に深い意味があるとされたのかは、よく分かりません。記紀の編者の感想とも言われますが、当時としては分かって当然というのような何かの意味があったのかもしれないです。
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