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荒神谷遺跡
投稿日時:2017-05-21 01:30:42TWEET Facebook はてブ Google+ Pocket
概要
発見の経緯と意義
1983年4月12日。出雲市斐川町神庭西谷で農道を作るために、調査していたところ、一片の須恵器の破片が見つかった。それでもどうも、遺跡があるのではないかと言うことになり、三宝荒神が祀られている場所が近かったことから「荒神谷遺跡」と名付けて調査が始まりました。
発掘調査が始まったのは1984年。発掘すると358本の銅剣が見つかりました。この当時、日本全体で発見されていた銅剣が300本程度だったことから大事件となります。つまりこの荒神谷遺跡だけで、当時発見されていた日本の銅剣を上回る数が発見されたのです。
発掘調査が始まったのは1984年。発掘すると358本の銅剣が見つかりました。この当時、日本全体で発見されていた銅剣が300本程度だったことから大事件となります。つまりこの荒神谷遺跡だけで、当時発見されていた日本の銅剣を上回る数が発見されたのです。
●当時は「古事記は偽書」「出雲は架空」という説が主流だったのが、この発見によって一蹴された。
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荒神谷遺跡から出たもの
遺跡は出雲国風土記で「神名火山(カンナビヤマ=神が宿る山)」とされる仏経山(ブッキョウザン)の北東3キロの地点。谷間の南向き斜面に二段に作られた場所があり、そこに銅剣が刃が上になるようにして4列整然と並べられていました。この銅剣358本のうち344本に「×」印がつけられていました。
1985年には銅剣が出土した場所から7m離れた場所で銅鐸6個、銅矛16本が発見されました。銅鐸と銅矛が一箇所から発見されたのは初めてでした。
続いて1996年には加茂岩倉遺跡で39個の銅鐸が発見されました。この39個のうち14個にも「×」印がつけられていました。
1985年には銅剣が出土した場所から7m離れた場所で銅鐸6個、銅矛16本が発見されました。銅鐸と銅矛が一箇所から発見されたのは初めてでした。
続いて1996年には加茂岩倉遺跡で39個の銅鐸が発見されました。この39個のうち14個にも「×」印がつけられていました。
●なんの目的で作ったのか、誰がなぜ埋めたのかは分からない。
●青銅器は鋳造時は銅とすずと鉛の合金で当時は金色に輝いていた。
●銅矛は武器ではなく「宗教目的」だろうとされる。
●銅鐸も当然宗教儀式で使うもの。
●銅剣も宗教儀式で利用したのではないか。
●青銅器は鋳造時は銅とすずと鉛の合金で当時は金色に輝いていた。
●銅矛は武器ではなく「宗教目的」だろうとされる。
●銅鐸も当然宗教儀式で使うもの。
●銅剣も宗教儀式で利用したのではないか。
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