スポンサードリンク
加茂岩倉遺跡
投稿日時:2018-04-01 17:56:05漢字・読み | カモイワクライセキ |
概要
加茂岩倉遺跡
住所島根県雲南市加茂町岩倉
経緯1996年に能動工事をしていたところ出土。銅鐸は45センチのものが20個、30センチのものが19個。計39個。大きな銅鐸の中に小さな銅鐸が入る「入れ子」になっていた。39個は一定の規則をもって並べられ、長方形の範囲にビッシリと入るように寝かされていた。
また銅鐸が別地域の銅鐸と同じ「型」から作られていて、加茂岩倉遺跡の銅鐸内でも「兄弟」関係のものがあった。
人・ウミガメ・トンボなどの模様が入っているものもあった(ほとんどが幾何学模様だけだけど)。
荒神谷遺跡の遺物と同じように「×」印が入っているものもあった。×はは銅鐸の持ち手のところにあり39個のうち14個に見られた。×の意味ははっきりとは分からないが、霊力を封じ込める意味合いではないかとも。
見つかった場所は高台にはあるものの、銅鐸が埋められていたのは南東の斜面で決して見晴らしがいいわけじゃない。
経緯1996年に能動工事をしていたところ出土。銅鐸は45センチのものが20個、30センチのものが19個。計39個。大きな銅鐸の中に小さな銅鐸が入る「入れ子」になっていた。39個は一定の規則をもって並べられ、長方形の範囲にビッシリと入るように寝かされていた。
また銅鐸が別地域の銅鐸と同じ「型」から作られていて、加茂岩倉遺跡の銅鐸内でも「兄弟」関係のものがあった。
人・ウミガメ・トンボなどの模様が入っているものもあった(ほとんどが幾何学模様だけだけど)。
荒神谷遺跡の遺物と同じように「×」印が入っているものもあった。×はは銅鐸の持ち手のところにあり39個のうち14個に見られた。×の意味ははっきりとは分からないが、霊力を封じ込める意味合いではないかとも。
見つかった場所は高台にはあるものの、銅鐸が埋められていたのは南東の斜面で決して見晴らしがいいわけじゃない。
スポンサードリンク
アクセス
スポンサードリンク
神社や関連する土地
荒神谷遺跡
荒神谷遺跡の発見が1983年から1985年にかけてで、加茂岩倉遺跡の発見が1996年だったことから加茂岩倉遺跡は「第二の荒神谷遺跡」と呼ばれ、二つの遺跡は3.3キロしか離れていない。
神原神社(神原古墳)も近い。
神原神社
かつて古墳の上にあった神社で、移設するときに古墳を掘るとそこから卑弥呼が魏から賜った鏡ではないかと言われる三角縁神獣鏡が発見された。近い場所にある。
荒神谷遺跡の発見が1983年から1985年にかけてで、加茂岩倉遺跡の発見が1996年だったことから加茂岩倉遺跡は「第二の荒神谷遺跡」と呼ばれ、二つの遺跡は3.3キロしか離れていない。
神原神社(神原古墳)も近い。
神原神社
かつて古墳の上にあった神社で、移設するときに古墳を掘るとそこから卑弥呼が魏から賜った鏡ではないかと言われる三角縁神獣鏡が発見された。近い場所にある。
個人的コラム
加茂岩倉遺跡は整備されていて、発掘されたところも「再現」されているので、見に行くと面白いかも。麓の駐車場に車を停めて、遺跡までは300m。ただし坂道で結構きつい。遺跡まで行くと谷沿いに遊歩道が整備されていて、その一番奥には「加茂岩倉遺跡ガイダンス」という施設がある。ビデオ上映と銅鐸のレプリカが展示されている。
ちなみに、平日に行ったからか、遺跡の中でガイダンスの職員さん以外に観光客を一人も見ませんでした。うーん。
余談ですが、加茂も岩倉(=磐座)も神に関する言葉です。住人も忘れてしまったけども、古代から信仰のあった土地なんでしょう。地名にはその名残があるというのが面白いですよね。
ちなみに、平日に行ったからか、遺跡の中でガイダンスの職員さん以外に観光客を一人も見ませんでした。うーん。
●ちなみに、画像が「加茂岩倉遺跡ガイダンス」です。
余談ですが、加茂も岩倉(=磐座)も神に関する言葉です。住人も忘れてしまったけども、古代から信仰のあった土地なんでしょう。地名にはその名残があるというのが面白いですよね。
スポンサードリンク
SNSボタン
TWEET Facebook はてブ Google+ Pocketページ一覧
古墳・遺跡などの表紙へ
スポンサードリンク