沙紀の多他那美

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沙紀の多他那美

投稿日時:2018-04-16 21:37:44
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概要

沙紀(サキ)の多他那美(タタナミ)は古事記に登場する「御陵」の名前。成務天皇の墓の地名。日本書紀では狹城盾列陵(サキノタタナミノミサザキ)と記述される。ただ、日本書紀では成務天皇(14代)だけでなく、神功皇后(15代仲哀天皇の皇后)も死後に葬られている。「サキノタタナミ」というのは特定の古墳ではなく、古墳がたくさんある地域名だったのではないかと。
比定地佐紀石塚山古墳(奈良県奈良市山陵町字御陵前)
●比定地は宮内庁が「そうしている」だけで、結構怪しい。
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引用

古事記からの引用
成務天皇の功績
成務天皇は95歳で亡くなりました。
お墓は沙紀(サキ)の多他那美(タタナミ)にあります。

日本書紀からの引用
仲哀天皇(一)立太子と出自
(成務天皇の)即位60年に成務天皇が崩御しました。翌年の秋9月6日に倭国(ヤマトノクニ)の狹城盾列陵(サキノタタナミノミサザキ)に葬りました。

神功皇后(四十)倭の女王は訳を何度もして貢献しました。
即位69年。夏4月の17日。皇太后は稚櫻宮(ワカサクラノミヤ)で崩御しました。その時の100歳でした。
冬10月15日。狹城盾列陵(サタノタタナミノミサザキ)に葬りました。この日に皇太后に追って尊び、気長足姫尊(オキナガタラシヒメノミコト)と名を送りました。この年は太歲己丑(ツチノトウシ)です。
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