吉野ヶ里遺跡

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吉野ヶ里遺跡

投稿日時:2017-06-18 13:22:48
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概要

住所佐賀県神埼郡吉野ヶ里町
長崎自動車道の東脊振インターからすぐ。
駐車場東と北口と西口と駐車場はたくさんある。こんなに必要かと思うほどにたくさんある。不足することはないと思われます。

広い。とにかく広い。軽い気持ちで行くと足が棒になります。一回で見回るのではなくて、何度か行くべき(私は一回しか行けていないのですが)。博物館は数あれど、これだけの敷地で古代の風景を再現したものはなかった。縄文・弥生・古墳時代に興味のある人は是非一度行くべき。ただし、この再現が「正しい」かどうかは分からない。古代史の常識になんて一つの遺跡発見で簡単にひっくり返りますからね。
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乾燥


集落の目的
古代では宗教と政治は切り離せない。政治は宗教を根拠にしているし、宗教は政治的でなければ必要とされない。祭壇や宗教的な意味合いのあることして説明書きがあります。

丘にある集落
吉野ヶ里遺跡は丘にある。近くに行けば分かりますが小高い丘なんです。その丘の上に集落があった。施設が小高い場所にあることで「神聖」であること、特別な意味があるような気がするんですが、私はその時代はここが「海岸線だった」だけではないかと思います。ここが海岸線であれば、大陸の品物が見つかるのも筋が通る。単純に交易の品です。もちろん、ここが宗教的に特別な場所で、品物が奉納されたのだと考えても別に問題ないのですが、吉野ヶ里遺跡は大きな集落ではありますが、そこまで大きな集落かというとね。

濠の意味…防衛設備ではないのではないか
濠は「戦争(防衛)」のためとされますが、例えば仁徳天皇陵(大仙古墳)などにも濠が二重、三重とあるように、果たして「戦争」の意味だったのかは私は疑問に思います。宗教的な意味の可能性も高い。つまり、神聖な施設に「魔」を近づけないための防衛が「濠」だったのではないか?ということです。逆茂木も果たして「防衛」のためだったか疑問。柵があって、濠があって、濠の中に逆茂木があるなら防衛ですが、濠の中ではなく、通常の高さの場所に逆茂木がある。これでは防衛の意味がないのではないかなと。
物見櫓も戦争のためとされていますが、実は行き交う船を見るための設備ではないかなと。もちろん、戦争もあったでしょうから、戦争目的ではないとは言えないのですが。
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