仁徳天皇陵(大仙古墳)

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仁徳天皇陵(大仙古墳)

投稿日時:2017-05-31 22:51:13
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概要

住所大阪府堺市堺区大仙町
仁徳天皇陵(大仙古墳)・履中天皇綾(上石津ミサンザイ古墳)反正天皇綾(田出井山古墳)の三つを合わせて「百舌鳥耳原三陵」と呼ばれています。三つはかなり近い場所にあります。歩いて行ける範囲です。
別名百舌鳥耳原中陵・仁徳天皇陵・仁徳陵古墳
大きさ墳丘長486m・高さ35.8m

副葬品の土師器や埴輪から5世紀前半から半ばに作られたと言われています。現在の調査では履中天皇綾(上石津ミサンザイ古墳)→仁徳天皇陵(大仙古墳)→反正天皇綾(田出井山古墳)の順で作られたとされていて、実際の天皇の順番は、仁徳天皇→履中天皇→反正天皇で、ちょっと順番がおかしい。ただし、何か新しい発見があるとひっくり返るし、それぞれの陵墓が本当に天皇の陵墓かどうかも、実はわからない。
ただし仁徳天皇が眠っている可能性もある。ここいら辺がはっきりしないのは、これらの天皇の古墳が宮内庁の管轄で、宮内庁が調査の許可を出さないため。
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解説

どでかい
非常に大きい。
現在は鬱蒼と木々が茂っているのですが、本来は木はなく、木が生えたらそれを伐採する係がいました。そういう人たちがいなくなって、現在のような状態になりました。木々が生えていなかったら、真っ白な化粧石で、白く輝いていたんです。大きさと、輝きで相当に目立つものでした。
南向き
仁徳天皇陵・履中天皇綾・反正天皇綾は皆「南向き」です。説によると「海岸線に沿って」いて、船から見えるようになっていたとか。船から陵墓を見せて、その威厳を見せたとか。綾の周囲には濠(ホリ)がめぐらしてあり、ここに水が溜められていますが、この濠の向きに工夫をしてまで、意図的に「南向き」にしている。そこまでして「威厳」を見せようとした…ってことになっているんですが、私は「天子南面」だと思います。世界を統治するべき天皇は北を背にして南に向く。天皇の陵墓だからこそ、南向きになるべき。ってことは、私の説から考えると、この三つの陵墓は天皇のものだってことになります。
周囲に古墳がある
濠の外にも濠の中にも仁徳天皇綾以外の古墳がいくつもあります。
参拝は参拝所から
古墳の南には参拝をする場所があります。そこには有難いことにボランティアのガイドさんがいます。パンフレットも貰えます。色々と教えて貰えます。
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引用

古事記からの引用
枯野の 塩に焼き 其が余り 琴に作り
この仁徳天皇の亡くなられた年は83歳…丁卯年の8月15日でした……御陵は毛受耳原(モズノミミハラ)です。

日本書紀からの引用
仁徳天皇(三十八)百舌鳥耳原の地名説話
仁徳天皇(三十九)吉備中国の川嶋河の大虬
即位87年。春1月16日。天皇は崩御しました。
冬10月7日。百舌鳥野陵(モズノノミサザキ)に葬りました。
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